306. あんなのアシュタじゃない
「やっぱり、か」
転移した先で、なぜか側近2人が剣先を交えていた。想像通りの光景に苦笑いして、赤黒い炎が渦を巻く広場の中に結界を敷く。銀色に光る魔法陣が描かれた石畳の広場に、涼やかな風が吹き込んだ。結界に浄化の効力を織り込んだ魔法陣が、アスタロトの放った
「イポス、リリスを守れ。この結界から出るな」
「はっ」
イポスの腕にリリスを抱かせようとすると、リリスは純白の髪を握って抵抗した。必死に両手でしがみ付くリリスの姿に、ルシファーは一度抱き直す。黒い衣ごと髪を掴んだリリスは「やだ」と小さな声で拒絶を口にした。
「リリス、本当に危険なんだ。お願いだからここで待っててくれ」
「ダメ! だって、アシュタが赤じゃなくて紫だもん! あんなのアシュタじゃない」
「紫?」
魔力の色を見るリリスならではの表現だ。普段は赤だと以前も言っていたから、濁って紫になったという意味だろうか。魔力が変質しているなら、感情もすべてが引きずられたはずだ。そしてこの惨状を引き起こした。
リリスはアスタロトじゃないと言ったが、ある意味真理をついた表現だ。今の彼に普段の側近の面影はない。にやりと口角を持ち上げて、ルシファー達を新たな獲物と認識したアスタロトが赤い瞳を輝かせた。
「わかった、気を付けるよ」
「ダメ」
「リリス?」
説明しようとして迷うリリスは言葉を探しているようだ。このまま待ってやりたいが、ベルゼビュートが押され気味なので、早く助太刀してやりたい。黒髪を撫でながら右手のひらに魔法陣を作り出した。
気づいたイポスは何も言わずに見守る。2回ほど頭を撫でると、リリスの大きな赤い瞳がとろんと光を失った。そのまま眠りへと誘い、崩れるように倒れ込んだ身体を受け止める。
「任せる」
「畏まりました」
手にした剣を地面に突き立て、膝をついてリリスを受け取ったイポスが首を垂れる。眠るリリスの眦に涙が滲んで、ルシファーはそっと指先でその雫を拭った。
ばさりと長い衣を捌いて結界の縁に立ち、背中の6枚の翼を広げる。
「デスサイズ」
相棒の名を呼び、左手に顕現した死神の鎌に笑いかけた。
「久しぶりの大物だ。殺すなよ」
意思を持つ武器に語り掛け、結界から足を踏み出す。灼熱の温度を白い肌に感じる。身の丈より大きな三日月の鎌の石突きで地を叩くと、気づいたベルゼビュートが飛び退った。アスタロトと距離を置いて、ひとつ息をつく。
本気で戦えば、どちらもいい勝負だろう。
しかし彼女がアスタロトを仲間だと判断する限り、剣先は鈍る。迷いが太刀筋を揺らがせ、じりじりと後退を余儀なくされた。ベルゼビュートの肌は、いくつか切り傷を受けている。逆に言うなら、手加減してこの程度の傷で済むなら、ベルゼビュートの腕前も大したものだ。
「下がれ、ベルゼ」
ベルゼビュートを守る形で燃える青白い炎がゆらりと、赤黒い火との間に
「陛下、アスタロトが……っ」
「わかってる。ちょっと血迷ってるだけだ。問題ない」
泣き出しそうな表情で叫んだベルゼビュートを宥め、彼女の前に立った。途端に叩きつけられる殺気は、背筋が凍るほど鋭いものだ。獲物を認識した吸血鬼王の赤い瞳が、瞬きせずにルシファーを映し続ける。そして剣を握り直した。
「認識してくれたら楽だったが」
溜め息をついてデスサイズをわずかに傾けた。整った顔を獣のように歪めたアスタロトの突きを、デスサイズの刃で受け流す。鎌の曲線を利用して剣を滑らせ、たたらを踏んだところを横に薙ぎ払った。
「ベルゼ、第一師団を治癒して連れ帰れ」
「しかしっ!」
この状態で魔王とアスタロトを放置できない。もっともなベルゼビュートの言い分に、ルシファーはくすくす笑いながら次の攻撃を避けた。余裕ある戦いを目にして、ベルゼビュートは冷静さをわずかに取り戻す。
「オレは『戻るな』と命じてないぞ。ちゃんと考えろ」
「っ! わかりましたわ。すぐに戻ります」
ヒントを与えて答えを促すルシファーへ、ベルゼビュートは一礼して転移した。一瞬だけイポスと視線を交わし、互いに頷く。第一師団はどうやら近くに避難して無事らしい。
言葉もなく唸り声をあげたアスタロトが、地面を擦るように下から剣を振り抜く。以前に見たことがある動きに、とっさに身体が動いた。鎌の先で受けて滑らせる。刃を返すようにデスサイズを捻ると、剣の先が石畳を抉った。
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