966. 守ったのに叱られたんだが?

 宙に舞うレバー、指にかかったピンの輪っか、手から滑り落ちる手榴弾……頭を抱えて蹲ったアベルは大きな声で「逃げろ!」と叫んだ。


 集まっていた魔族の反応は機敏だった。この場で最強の魔王が付いているので、お姫様も放置して全力で駆け出す。リスは近くの大木によじ登り、魔狼の子供は足元の虹蛇を咥えたが、さらにフェンリルに咥えられて全力疾走だ。エルフに爪を貸した鳳凰が飛び立ち、土の壁を作って隠れたドワーフが身を丸めた。


 日本人であるイザヤとアンナも、ドワーフ達に壁の中に引き摺り込まれる。


「アベルっ!」


「奴は遠すぎる、魔王陛下にお任せだ」


 ドワーフが頭を抱えて叫ぶ。アンナを抱えたイザヤが背で庇った。


 1秒、2秒、3秒……爆発音がしない。振動もない。顔を見せてもいいのか、でもその瞬間に爆発したらどうしよう。


 困惑するドワーフと日本人2人は顔を見合わせた。ごくりと喉を鳴らし、覚悟を決めたイザヤが壁の切れ目から覗く。


「っ!」


「どうしたの、何……っ」


 固まった兄の横から顔を出したアンナも動きを止める。不思議そうにしながら立ち上がったドワーフが目を丸くした。


 手榴弾はこの場になく、脱力して動けないアベルが地面に倒れていた。ルシファーはリリスをしっかり抱き締める。この光景は見てもいいのか? ドワーフ達の中に疑問が生じた。


「ああ、もう大丈夫だ」


 ルシファーの安全宣言が出て、空に退避した鳳凰も戻ってくる。爪にぶら下がる形だったエルフも、地上に足をつけて表情を和らげた。


「えっと……何が起きたんです?」


 尋ねるアンナは、普段の口調が乱れるほど混乱している。危険な手榴弾はどこへ行ったのか。抱きしめられたリリスは、きょとんとした顔でルシファーを見上げる。急に腕に閉じ込められたので、彼女も何が起きたのか理解していなかった。


「爆発して危険だというから、問題ない場所に飛ばした」


「……問題ない場所?」


「あ、アベルは? 無事ですよね」


 アンナが駆け寄ると、よろよろと身を起こしてぺたんと胡座をかいたアベルは大きく息を吐いた。


「やべぇ、まじで死んだと思った」


 ぎりぎりのタイミングだった。ルシファーが小さな魔法陣を描き、その上に手榴弾が落ちて吸い込まれる。直後に魔法陣が粉々に砕けた。


 破片から身を守るために、魔法が使えないリリスを引き寄せたルシファーだが、意外と余裕があった。大公との手合わせに比べれば、どんな状況でも逃げ道が見つかる。彼や彼女らより強い敵を知らないのだから。


 圧倒的な速さを誇るのはベルゼビュートだろう。剣の突きは随一だ。狂化した時のアスタロトも怖い。それに比べたら、爆発するただの球体は冷静に処理すれば、危険度は低かった。平和に暮らしたい割に、危険に慣れた魔王の日常がいかに殺伐としていたか。


 純白の最強魔王の肩書は伊達ではない。


「アベル、よく知らせてくれた。おかげで皆が逃げられた、礼を言おう」


 感謝するルシファーの横に、ふわりとドラゴンが舞い降りる。青い鱗を纏うルキフェルは人化して周囲を見回した。


「何これ、また事件?」


「ベルゼビュートから転送された、人族の落とし物から爆発物が見つかって……処理したところだ」


「へえ、あいつら本当にクズだね」


 爆発物を混ぜて攻撃するなんて。そう吐き捨てたルキフェルだが、ルシファーは首をかしげた。どちらかといえば、偶然のような気がする。ピンを抜いて放り投げないと爆発しない仕組みだったなら、通常はピンを抜いたりしない。ちらっと腕の中のリリスを見て溜め息をついた。


「リリス、何でもかんでも開けちゃダメだ」


「だって、パイナップルでしょう? 剥いて、リスさんにあげたかったの」


「ああ、うん。そうなんだが……許可なく剥いちゃダメだ」


「しちゃいけないことが増えるの?」


 不満そうに唇を尖らせたお姫様の機嫌をとるルシファーの裾を引っ張り、ルキフェルが話題転換を図る。


「あのさ、どこへ転送したの? 魔法陣が砕けてて解読できないんだけど」


「ん? ああ。爆発物なら海の上空だ」


 破片が回収できない場所で爆発させるなんて……ルキフェルの抗議は日が暮れて真っ暗になるまで続いた。今後は結界の中で爆発させる約束を取り付けるまで、研究対象を失ったルキフェルの怒りは解けなかった。

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