1300. 無駄に過ごす半日

 緊急の書類を持ち込んだベールは、空の執務室に溜め息を落とす。ここ数日大人しくしていたのに、どこへ出かけたのか。魔王の行方を追うため、魔力感知の範囲を広げながら中庭へ出た。


「ベルちゃんだわ」


 不本意なあだ名をつけたリリスは、にこにこと手を振る。中庭の脇で、ルシファーが木陰に隠れていた。その後ろに隠れたはずのリリスは、自覚なく声をあげる。


「しー、リリス。バレちゃう」


「もうバレています」


 ベールにぴしゃんと上から言われ、ルシファーが顔を上げた。だがすぐに視線を戻す。その先には、アベルがいた。


「何をしているのですか」


「ルーサルカとアベルの調査だ」


「そうよ、二人が本当に結婚するほど仲がいいのか確かめるの」


 結婚式が近づくと、妙な行動をする事例を聞いたことがありますが、それですか? ベールの分かりやすい表情を無視し、ルシファーはぐいっとベールの袖を引く。素直に屈んだ側近へ、隠れるよう命じた。


「見つかったら負けだ」


「よくわかりません。何を始めたのでしょう、本当にあなたは……」


「説教は後だ。追うぞ」


 なぜか一緒に追う羽目になり、ベールは気付いて結界を纏う。幻獣を統べる王は、あっさりと錯覚と視覚の盲点をついた透明化を実現した。索敵や調査で役立つ魔法なので、普段から多用している。はるか昔に巨人族が反乱した時は、この魔法がとても役立った。


「透明化しておきましたので、地に膝を突くのはおやめなさい」


 おやめください、と臣下なら口にするところ、明らかに上から目線で注意する。魔王ルシファーは気にした様子なく、立ち上がって埃を叩いた。リリスはルシファーのローブに守られ、さほど汚れていない。


「すごいわ、ベルちゃん。これ、向こう側からは見えないのよね」


「……リリス姫、いい加減に呼び名はきちんとしてください。それと透明に見えるだけなので、注意しないと人や物にぶつかります」


 最低限の注意を済ませ、アベルの追跡が始まった。足を止めたついでに、書類に署名をもらおうとしたが、諦める。ここで署名してもらっても、結界の魔力に触れたらインクが消えてしまう。何より、インクもペンも手元になかった。


「アベルが何か仕出かしたなら、呼び出せば済むでしょう」


「呼び出したんじゃダメだ。アベルが婚約者のルーサルカを大切にしていない可能性がある。どうなるかわかるな?」


 あのアスタロト大公の義娘ルーサルカを、元人族の勇者アベルが蔑ろにした……そう読み替えると答えが見えた。大事件に発展する。ルーサルカを間に挟んだ、軽い戦争状態だ。日本人は魔族に加わったばかりだが、重要な種族だった。魔王として彼らは庇護対象に当たる。そのアベルをアスタロトが攻撃したら?


 魔王ルシファー対アスタロト大公の一戦が始まる!


 アスタロトとルシファーが戦ったのは、人族の都で一時的に我を失ったアスタロトを止めようとした時が最後だ。魔王チャレンジは本気ではなく、あくまでも祭り用のデモンストレーションだった。


「それは、見てみたいですが……城が半壊するのは困ります」


 仕事も滞るし、ただでさえ手が足りなくて忙しいのだ。これ以上のトラブルはごめんだった。日本人なら「ゴジラ対ガメラ」と例えるが、どちらがガメラでどちらがゴジラかは、各人の想像に任せるのが賢明だろう。


 その後数時間にわたり、3人でアベルを付け回したが、ごく普通に仕事を終えて帰路についた。おしゃれなワンピース姿のルーサルカと腕を組んで城下町へ向かう彼を見送り、ベールは頭を抱える。くだらないことで時間を無駄にしました。


「あ、その書類すぐに署名するから」


 怒りが漂う臣下の様子に冷や汗を浮かべ、ルシファーは大急ぎで執務室へ戻った。大量に積まれた書類を一気に片付け、ベールの小言を回避しようとする。しかし、その程度で回避できるわけもなく……がっつり叱られる声が侍従達の苦笑いを誘った。

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