116. 1匹いたら30匹

 直後に我慢できなくなったヤンが大きな遠吠えをした。ウォーンと響いた遠吠えに誘われる形で、頭上に突然雨雲が呼び寄せられる。そのまま雷が地上を蹂躙した。焼き尽くされた地上は木々も含め無残な姿を晒している。


「ちょっとやり過ぎかな…」


 雷と同時に突風が吹いたため、臭いはかなり軽減された。だが今度は肉が焼け焦げた臭いが漂う。さっきの腐敗臭よりマシだが、火事場に似た臭いも眉をひそめる不快さをもたらした。どちらがマシかと聞かれたら、まあ今回の方が我慢できる。


「我が君、奴らを駆除しましたぞ!」


 得意げなヤンの姿に、そういやフェンリルは雷を呼べたんだっけ……と今更ながらに思い出す。駆除という表現が『1匹いたら30匹いると思え』が合言葉の黒い虫を想像させた。まあゾンビも同じで、1匹でたら30匹くらいは増えてるもんだが……。


「パパ、ヤンが偉い!」


「ああ、偉かったぞ。ヤン」


 両手を叩いて喜ぶリリスが落ちないよう支えながら、巨大な尻尾をぶんぶん振る小山サイズの狼を褒めてやる。嬉しそうなヤンが伏せると、リリスが手を伸ばした。近づいた先で、鼻先を優しく撫でている。それから周りを見回した。


「おっきい水たまり、なくなっちゃったね」


 リリスがこてりと首をかしげる所作に釣られて振り返った先には、ぶくぶく音を立てて蒸発する湖があった。すでに水量が1/3まで減っている。強烈な雷が直撃したらしい。吹き飛んだゾンビが、美しかった湖を濁らせて異臭を放った。


「……うわぁ……」


 湖が地獄の沼みたくなった。責任は今回自分にないので、無責任に顔をしかめて呻く。


「湖は数百年もすれば元に戻りますから、このまま放置でいいでしょう」


 自分の領地内だからか、投げやりなアスタロトの言葉にルシファーは驚いた。


「あれ? いいんだ」


 前にルシファーが崖を吹き飛ばして川を堰きとめた時は、かなり叱られたのに。納得できない魔王が首をかしげるのを無視して、アスタロトは焼け焦げたゾンビの検分を始めた。臭いを感じないとしても、ルシファーは絶対にやりたくない仕事だ。


「アスタロトって、意外と何でもやるのよね~」


 同じようなことを感じたベルゼビュートが苦笑いする。ピンクの巻き毛を指でくるくる弄りながら、彼女は魔法陣を展開した。あっという間に結界が悪臭を遮断する。


「ベルゼ、結界は最初に使え」


 そうしたら悪臭に悩まされることはなかったのに。リリスは摘んで赤くなった鼻を自分で撫でている。上から一緒に撫でてやりながら文句をつけると。


「あら、陛下は外でお待ちいただいても構いませんわよ」


 笑顔で嫌味を言う彼女の姿に、離れたところで死体チェックしている側近を指差して指摘した。


「その笑顔と言い方、アイツにそっくりだぞ」


「やだ! 冗談でもやめて!!」


「…………あなたがたの失礼さは、どう教育したら治るのでしょうね」


 転移で戻ってきた側近が、結界を外からこんこんとノックする。怖ろしくて震えるルシファーをリリスごと転移させて逃げたベルゼビュートを、怖ろしい笑顔を作ったアスタロトが追った。


 一番大きな身体なのに忘れられたフェンリルが、ぽつんと焼け野原に残される。


「ふむ……我は走って帰れと?」


 護衛なのに置いていかれたヤンが必死に走って戻る間に、アスタロトに捕獲されたルシファーとベルゼビュートは正座で説教を聞くはめに陥っていた。戻ったヤンは「説教を一緒に聞かずに済むなら、次も走りますぞ」とのたまったとか。

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