982. 悪いのは、あの人ですね
幻獣や神獣が集う、ベールの領地を回る間に噂は大きく成長した。金魚ほどだった可愛らしい誤解は、くじらサイズまで肥大し、後ろにヒレや体ほどもある尻尾を揺らす有様だ。
「……魔王妃リリス様ご懐妊――どうやったら僅か数日でこんなことに」
頭を抱えるベールが、手元に大量に積まれた祝いや報告関連の紙を叩く。ばしっと乾いた音を立てた一枚目は、魔族の集落で見つけた絵姿付きの回覧板だった。
種族間の繋がりを重視する魔族にとって、近隣で起きた出来事は共有される。どこの種族で子供が生まれた、あちらの一族は御老体が亡くなられた。そんな情報を書き加えて回し、他種族の連絡に目を通す。当たり前の習慣だが……立ち寄った魔王軍が見つけた内容は、すぐにベールに報告された。
魔王と魔王妃に関する情報なのだから当然だが、目を通すなりこの状態である。城の執務室で項垂れたベールの横で、ルキフェルがひょいっと1枚目を手に取った。同じ回覧板が数か所で回収されたが、情報の更新が激しく内容は微妙に違っている。
「こっちだとまだ懐妊なんだね」
「……こっちだと、とは?」
「僕が見つけたのはこっち。ほら、もう生まれたって書いてある」
受け取った回覧板の絵姿には、レラジェを抱っこするリリス姫が描かれていた。おそらく落下した卵から回収した時の絵だろう。見覚えのある光景に、肺の息を全部吐き出した勢いで崩れる。どうやって軌道修正をすればいいのか。
「おや、同じ案件ですね」
立ち寄ったアスタロトが、開いたままのドアから中を覗く。苦笑いしながら、やはり似たような回覧板を差し出した。一枚の板にひもを通し、穴をあけた紙を追加していく方式の回覧板はその仕組み上、もっとも衝撃的なニュースがトップを飾る。地域新聞のような役割も果たしていた。
ひとまず、事実と違う部分は訂正しなくてはならない。アスタロトは取り出した地図に、手早く回覧板の状況を書き込んだ。明らかに北へ行くにつれ情報が過激になっていく。情報源である魔王と魔王妃が視察中なので当然だが、一ヵ所だけ不自然に詳細な内容の書かれた回覧板があった。
「ここは……ダークプレイス?」
魔王城の城下町ダークプレイス、様々な物資や情報が集まる場所だが……北の情報をいち早く入手するルートがあるのだろうか。
「僕が行ってくるよ」
行き詰った研究を放り出し、ルキフェルが気晴らしにダークプレイスの調査を申し出る。ここは素直に任せることに決め、噂の訂正記事を作成して魔王軍の手でばらまくことにした。ベールは直接ルシファーに状況を報告し、一度魔王城へ帰還させる。手分けして動くことに決め、アスタロトは机で記事を作り始めた。
中庭から転移するベールをテラスから見送ったアスタロトは、ふと気になった絵を拾い上げる。大きなお腹を隠すように、ふんわりしたコートを羽織ったリリスの姿が描かれていた。それからレラジェを抱っこしたリリスの絵を隣に並べる。
「……どちらも同じ絵師のようですが」
両方に立ち会った者は限られる。絵は非常によく描けていた。リリスの楽しそうな様子も含め、悪意をもって描かれた様子はない。
「この絵描きも利用されたのでしょうか」
悪く考えれば、魔王妃の評判を貶めるために描かれたと判断できた。婚前交渉は一部の種族以外認められておらず、貴族ともなれば良い顔をする者は少ない。婚約者といえど、条件はそう変わらなかった。
だがこの場合、レラジェの顔が子供の頃のルシファーにそっくりだ。つまり婚約者である魔王の子を産んだように見えるのだから、悪いのは魔王となる。評判が落ちるのは、若い婚約者を押し倒した魔王ルシファーだった。
どちらを貶めようとしたのか。まったく違う意図があったのか……何にしろ、悪いのは。
「あの人ですね」
主君の整った顔を思い浮かべ、アスタロトは断言した。
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