1169. 魔王妃殿下(未)の乱入

 魔王城の謁見の大広間で、久しぶりに行われたのは貴族の挨拶と、ある提案の協議だった。大公4人が揃った広間の壇上へ、ルシファーが黒衣で優雅に現れる。貴族達は目を輝かせて歓迎した。


 今日はリリスと大公女達が赤子の面倒を見ると張り切っていた。ヤンはさぞヒヤヒヤしていることだろう。これらの諸事情により、ルシファーの護衛はアスタロトになる。まあ、最強の魔王に護衛は不要で、どちらかといえばストッパー役だった。


「協議の議題から先に」


 進行役のアスタロトが口を開き、重々しくルシファーが頷く。かつての魔王城の日常が戻りつつある謁見の間、厳かな空気を引き裂くように少女が飛び込んだ。


「ルシファー、見て! この子、牙が生えてきたわ!!」


 赤子を抱いたリリスが飛び込み、絨毯に躓く。咄嗟にルシファーが受け止めた。この時点で雰囲気は台無しだが、さらに赤子がいけなかった。貴族達は「まさかの婚前交渉?」と青ざめる。魔獣などには婚前交渉ありきの種族もいるが、魔王妃となるリリスは見た目が14歳前後で童顔だ。幼く見えるだけに、魔王の年齢を考えると印象が悪かった。


「陛下が……」


「まさかもう?」


「やだぁ」


 一部の貴族から溢れた声に、アスタロトは額を押さえる。向かいでベールが苦虫を噛み潰した顔で、大きく深呼吸した。鍛えられた肺に大量の空気がはいり、声として一気に吐き出される。


「静まりなさい!!」


 ぴたっとお喋りが止んだ。魔力による威圧を含んだ声は、謁見の間の奥まで届く。後ろの巨人達も慌てて両手で口を塞いだ。余計な発言をしたら、攻撃されそうだ。本能的に危険を察知した魔族は、互いに互いの口が塞がれているか確認しあう。


「リリス姫、報告は後でお受けしますので」


「だって、これだけの人がいるんでしょ? 誰かがこの子の親を知ってるかもしれないわ」


 誰もが口を押さえた状態で、さらに誤解を招く言い回しだった。リリスにしたら、たくさんの人が見てくれたら親を知ってる人やこの子を見た人がいるかもしれない。単純にそう考えた。だが先程の「婚前交渉か?」と疑惑に染まった貴族の耳には、魔王妃であるリリスが他の人の子を産んだと聞こえた。しかも親は不明……もしかして襲われたのか? それとも複数と交わったとか?!


 混乱しつつも必死で声を押さえる彼らの耳は、巨大化していた。物理的にではなく、心因的要素で。聞き耳を立てる貴族の様子に気づいたアスタロトが淡々と懸念材料を消していく。


「親を探すにしても、この子達の種族を確かめるにしても。リリス姫が直接なさる必要はありません。捨て子を拾ったお立場で、責任を感じるのは素晴らしいことです。ただ、我ら臣下の仕事を姫が取ってはいけませんよ」


「そうなのね? じゃあ、アシュタに任せるわ」


「……呼び名はともかく、この件は魔王城の敷地内に捨てられた子供の種族を確かめるのが先決です。私とルキフェルがしっかり確認しますのでご安心ください」


 きっぱりと誤解を生じないよう、説明くさい文章を貴族達にも聞かせた。素直なリリスは自分の行動に満足しているが、止めるはずの大公女達の姿がない。それが役目でしょう。自分の義娘が混じっていても、こういった場面では容赦しないアスタロトの感知に、カーテンの影に隠れる4人と1匹を見つけた。


「大公女達は……ああ、リリス姫を止め損ねたのですね。後できっちり叱ることにしましょう」


 ぞっとするような声に、貴族達は黙って身を震わせる。ルシファーの膝に赤子を置くリリスだけが平然としていた。


「ねえ、ルシファー。見て、立派な牙でしょ」


「あ、ああ。鋭い牙だ。ということは獣人系の可能性もあるのか」


 人狼のようにかつて滅びた種族を含め、改めて精査が必要だ。真剣に唸る魔王に、広間の貴族は首を横に振った。そうじゃなくて、アスタロト大公を止めてください。なんか、怖いこと考えています! たぶん、きっと……おそらく。

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