484. 無理矢理は犯罪です!

「パパ、これはやっ!」


「投げちゃダメだぞ、リリス、投げるな」


 叫んだが遅かった。飛んできた机の上の小物を、つぎつぎと受け止めていく。癇癪かんしゃくを起したリリスを宥め損ねたルシファーは、多めに魔力を放出した。強制的にリリスの手足を魔力で縛り、隣の部屋のベッドへ飛ばして押さえつける。


 背に走った痛みに一瞬顔を歪めるが、すぐに取り繕ったルシファーがベッドで暴れる幼女の隣に腰掛けた。機嫌が悪いリリスは赤い瞳を潤ませ、黒髪を振り乱して泣き叫んでいる。過去にもこういった癇癪は何度も見たが、今回は声を枯らさんばかりの声に喉を傷めて咳き込むほど興奮していた。


「リリス、おちついて」


「さわっ、なぃで! やああぁ!! うわぁ~ん、いやだも、んッ」


 話が出来る状態ではないので、仕方なくそのまま見守ることにした。少しすれば落ち着くだろうと触れるのも我慢して、彼女の両脇に手をついた。さらりと背を滑る純白の髪が、幼女の上に降り注ぐ。しゃくり上げながら泣き続けるリリスの姿に、自然と眉尻が下がった。


 泣きすぎて苦しそうだが、今触ると彼女の癇癪がまた始まりそうで……困惑顔でただ見守る。抱き上げてあやしたら、さらに興奮して怒り出すだろう。過去の経験から、彼女の気が済むまで泣かせるしかない。


「陛下……さすがに無理矢理は犯罪です! いくら魔王妃となるリリス嬢相手でも、まだ3歳ですよ? あと20年ほど我慢なさってください」


 淡々と言い聞かせる声が耳に飛び込んで、ルシファーは顔を上げた。侍従のベリアルが大きく溜め息をつき、現状がどう見えるのかルシファーは今更ながら気づく。


「誤解だっ!」


 どう見ても、無理矢理幼女を襲って泣かせた極悪人だ。慌てて身を起こすと、すこし落ち着いていたリリスがまた泣き出した。


「うぁあああ! パパのばかぁ!!」


「え? ちょ……、ど、どうしたら」


 近くにいても泣くし、離れたらもっと泣く。動けなくなって固まるルシファーが「オレが泣きたい」と呟いた。呆れ顔のベリアルを押し除け、頼りになる側近が顔を見せる。


「おや、ついに襲いましたか」


「襲ってない!!」


「パパのばかぁ!! っ、う……ぁあああ」


 大声に反応してまた泣き出す。がくりと項垂れるルシファーに、くすくす笑うアスタロトが歩み寄った。魔力によりベッドに拘束されたリリスの目の前に、白い手をかざす。ひらりと指を動かすと、ぴたりと泣き止んだ。


「おい……操るな」


「このままにするわけにいかないでしょう。すぐに解放しますから妥協してください」


 むっと唇を尖らせるルシファーだが、確かにこのまま動けずにいるわけにいかない。アスタロトの言葉通りに妥協し、吸血鬼特有の精神侵略を見逃した。


 ぼんやりと手を見るリリスの赤い瞳が光を消す。ゆっくり目蓋を伏せて、眠るように意識を失った。そこでようやく、アスタロトが翳した手を戻す。


 リリスがケガをしてないか確認し、ほっと息をついた。ペンの隣の短剣を掴んだときは、手を切るんじゃないかと焦った。ペーパーナイフ代わりに使っているが、本物の刃が付いていたのだ。


 久しぶりに使った能力の副作用で、軽い脱力感がアスタロトを襲う。眉をひそめる彼の姿に、ルシファーが小声で話しかけた。


「大丈夫か?」


「ええ、久しぶりなのと……リリス嬢の魔力による抵抗が大きくて、疲れました」


 魔力量が多いほど抵抗が大きい。幼女でなく本気で抵抗されたら、封じるのはかなり難しかった。苦笑いしたアスタロトが、思い出したように後ろを振り返る。


「そういえば、廊下に勇者がいましたが……?」


「陛下の許可を得てご案内しました」


 ようやく案内の役目を果たせたベリアルが一礼し、廊下のアベルに向き直ると――両手で耳を覆って目を閉じた勇者がいた。どうやら気を使わせてしまったようだ。


「……部屋に通してくれ」


「同席させていただきます」


 頷くルシファーの許可を得て、ベリアルが案内した勇者と向き合って座る。ベッドがある部屋の扉を閉め、お茶の用意をしたベリアルは退出した。


 見てはいけない場面に遭遇した勇者、幼女を襲った容疑を拭えない魔王。最悪の状況で実現した面会に、アベルは内心で焦っていた。もしかして『目撃者は処分する』方針だったら、どうしよう。


「勇者アベルが面会を求めたのですか?」


 緊迫する場をアスタロトの声が破る。ほっとしながら「はい」と頷いたアベルは、ちらりと視線を隣室へ向けた。


 本当なら、あの子に直接謝りたかったのだけど。今はそれを切り出せる勇気がない。ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込み、ぎゅっと拳を握りしめた。


「僕は魔王様と姫様にお詫びを……」


 鼓動が大きな音を立てて、鼓膜を破りそうな錯覚が全身を震わせる。緊張が最高潮に達したところに、ガタンと派手な音がして、アベルは頭を抱えて悲鳴をあげた。

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