483. もふもふは癒し、謝罪は大事

 ガラスの器に入った白い花を窓辺に置いた。この世界でもきっと、花は日光が必要だろう。水に浮かぶ花を指先でつついてみる。ふわふわ揺れる花に溜め息を吹きかけた。


「ちゃんと謝らなくちゃ……な」


 あれは八つ当たりだった。あの子がどんな境遇でも、それを勝手に妬んでつらく当たるのは間違っている。自分の行動があの幼女を傷つけて、魔王に新たなケガを負わせる原因になったとしたら……とても申し訳ないことだと反省していた。


 ここでアベルにとって大きな壁が立ちはだかる。


 魔王は「陛下」と呼ばれる、この城で最上位の存在だ。それどころか魔族の頂点に立つ人だった。今までは成り行きで声をかけてきたが、謝る為に魔王に会う方法がわからない。侍従だという魔犬族コボルトが出入りしているが、彼に言付けたら会えるのか。


 部屋の中で着替えを用意してくれるコボルトの青年を振り返った。人と同じ2本足で立つ犬にしか見えない。身長も高くなく、120cm前後と可愛らしかった。ふさふさした尻尾や耳も柔らかそうで、魔族の威圧感も感じられない。


 立って歩く大型犬感覚なので話しかけやすいが、内容が内容なのでなかなか相談できずにいた。アベルは数回口の中で練習したあと、決死の思いでコボルトに声をかける。


「あの……お願いがあります」


「なんでしょうか?」


 茶系の短い毛皮の彼は、穏やかに問い返す。そこに人族を侮ってバカにした態度はなかった。召喚された直後に聞かされた話とは、真逆の柔らかなコボルトの青年の笑顔に緊張しながら言葉を選ぶ。


「魔王様と小さなお姫様に、お詫びをしたいので……会いたいと伝えていただけますか」


「かしこまりました。お伝えいたします」


 意外とすんなり話を聞いてもらえたことに、驚いて目を見開く。最高権力者に会いたいと言われて、伝えますと普通に応じるとは思わなかった。そんなアベルの表情に、コボルトの青年フルフルは首をかしげる。


「……えっと、その……大変なのでは?」


 頼んでおいて間抜けだと思うが、取り次いだ彼が叱られないかと心配になってしまう。この世界の階級は中世の王侯貴族と同じような感じだと認識している。魔族は力関係がすべての種族だとも聞いていた。いきなり伝えたら罰を与えられるかも知れない。


「いいえ。魔王様にお伝えするには、事前に侍従長のベリアルにお話しします。1時間以内に魔王様のお耳に入りますよ」


 何を懸念しているのか、不思議そうにフルフルは耳を動かした。ゆらりと動く尻尾も緊張している様子はない。どうやら本当に大丈夫らしい。ほっとしながら本音が漏れた。


「よかった、伝えたことで叱られたりしないかと」


「ご心配ありがとうございます。魔族は強者がすべてですが、弱者は強者に保護してもらえます。一方的に叱ったり罰したりする方は、貴族の称号をはく奪されますから」


 魔族は野蛮だと教えられたが、こうして知るほどに人族の粗雑さが目立つ。理知的に組織を構成して、強者が認められ弱者が守られるシステムを作り上げた魔族は、弱者を虐げる人族よりよほど優れていた。現代の民主主義感覚に慣れた自分もそう感じるのだから、本当に立派だと思う。


「お待ちください」


 お茶を用意したフルフルが扉の外の誰かと少し話をする。すぐに尻尾を大きく振りながら戻ってきた。犬を飼ったことがあるアベルにとって、コボルトは接しやすい種族だ。手が届く距離で嬉しそうに話し始めた彼を、撫でてしまったのは必然だった。


「魔王様にすぐ連絡が取れそうです……ん? あの……」


 茶色の短い毛が、飼っていた柴犬を思い出させる。正確には祖母が飼っていた犬だが、賢くて忠誠心厚くて、祖母だけじゃなく自分にも懐いてくれた。無意識に伸ばした手で頭をいきなり撫でていたことに気づき、慌てて手を引っ込める。


「ご、ごめん……つい。知ってる犬を思い出して……その、失礼だった。ごめん」


「……っ! そうですか! 仲間を知っているのですね?」


 多少の誤解があるようだが、完全に間違っているわけじゃないので笑って誤魔化す。怒られなかったことが、アベルの背をそっと押した。


「迷惑でなければ、抱っこして撫でても……いいかな」


「もちろんです」


 さらに数歩近づいてくれたフルフルの頭を撫で、耳の後ろも掻いてやる。それから顎や首周りをわしゃわしゃとかき乱すと、忘れていた柴犬の感触を思い出した。あの犬は撫でてやると本当に幸せそうに尻尾を振ってくれた。何も打算なく、ただ愛してくれる存在がいた過去を懐かしむ。


「ありがとう。また触らせてくれると嬉しい」


 前向きになった気持ちをそのまま伝えると、フルフルが嬉しそうに尻尾を振った。


「アベル様、魔王陛下がお会いになられるそうです……フルフルは仲良くなったのですか? よかったですね」


 ノックしたが返事がなかったと、開いていた扉の隙間から顔を覗かせたベリアルが柔らかく声をかけた。仲良くなったと楽しそうに報告するフルフルを、上司のベリアルは撫でて落ち着かせる。


「すぐにお伺いします」


 彼らの穏やかな雰囲気に励まされながら、アベルは謝罪のために立ち上がる。窓辺に揺れるガラスの器を手に、案内するベリアルの後ろを歩き出した。

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