752. 助かった、のか?

 迷った末、ベルゼビュートとベールが己の領地へ確認に赴くこととなった。戦力が分散されるが、戦争とは話が違う。


 魔王軍の指揮権は、預かったベールからこの場に残るルシファーへ戻る。指揮権の移譲を繰り返すと現場が混乱するものだが、魔王軍に限ってそれはない。たとえ一時的に指揮権が別の大公へ移ったとしても、ルシファーが魔族のトップである事実は覆らない事実だった。


 ルシファーが命じれば、魔王軍は大公から受けた命令を覆すだろう。宗教のない魔族にとって、魔王とはどこまでも特別な存在なのだ。


 見送ったルシファーは、城のアスタロトから送信される情報を地図の上で並べ直した。指先で不要と思われる情報を弾き、記憶した情報を整理して入れ替える。繰り返す間に、ぼんやりした情報は徐々に洗練された。


「海水の触れる土地から魔の森の魔力が流出したとしたら、流れた先は海なのか?」


 書庫の本をほぼ丸暗記したルキフェルの知識を持ってしても、このような事例の記載は見当たらない。ルシファーやアスタロトの記憶にも残っていなかった。


 海は独自の生態系を持ち、地上とは別のルールで動いている。海岸付近を治める魔族でも、海中は管轄外だった。そのため、海の中に関する知識や情報が不足するのだ。


「早く解決しないとまずい」


 眉をひそめたルシファーの呟きは、エドモンドに「魔の森を正常に戻さなくては」という意味で捉えられた。だが年の功か、モレクは「何か別の事情があるのでは?」と読んだ。


 どちらも正しいのだが……ルシファーが気にしているのは、黒髪の魔王妃リリスとの約束だ。


「リリスとの約束が守れないと困る」


 こんな場面でも戯けた様子で肩を竦めるルシファーに、地図を覗いていた魔族は緊張を解いた。魔王が剣呑な様子を見せれば、恐怖が生まれる。最高権力者が真剣に悩めば、周囲も行き詰まる。茶化した口調のルシファーに深刻さが窺えないことで、魔王軍の精鋭達に安堵が広がった。


 魔王が妃との約束を心配していられるほど、事態は切羽詰まっていないのだと――。


「魔王陛下! 魔の森に魔力が……」


 ばさりと羽の音がして、頭上に影がかかった。滑空して視界に飛び込んだドラゴンが、地上に両足をつきながら叫ぶ。その報告の続きを、この場の全員が固唾を呑んで待った。


 しかしドラゴンは、見下ろす不敬に気付いて人型を取る。その間もそわそわしていたエドモンドが「早くしろ!」と彼を急かした。緊急時の不敬は許される上、魔王ルシファーは礼儀をさほど重視しない。相手に悪気がなければ、咎めることはなかった。


 若いドラゴンは人型を取ると、大急ぎで頭を下げる。その口からでた報告に、全員が顔を見合わせた。


「魔の森に、魔力が戻ってきております!!」


「魔力が……?」


「……戻った?」


 口々に呟いた言葉を、エドモンドが慌てて地図に書き込む。地図を前に指揮を取っていたアスタロトが気づき、驚いてルキフェルを呼ぶ。大量の資料に埋もれていたルキフェルが、文字を確認して目を見開いた。


「え? なんで?」


「原因はともかく……助かった、のでしょうか?」


 アスタロトの呟きは、魔の森の奥に陣取るルシファーと重なるように、同じだった。


「助かった、んだよな?」

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