1305. 害虫駆除はイタチごっこ

 人族が全滅したかと問われたら、答えは否だ。どんなに駆除しても害虫はまた繁殖する。雑草と同じで駆除とイタチごっこだった。実際人族の集落がいくつか見つかっているが、人数はどれも数十人単位だ。彼らが人手を割いて魔族に攻撃を仕掛ける余裕はない。


「気のせい、か?」


 嫌な予感がしたんだが。呟いて、絡まった純白の髪を手早く梳く。リリスの黒髪を手早く結い上げる間に、髪留めを選ばせた。淡い紫の小花が輝く髪留めを付け、ラベンダー色のワンピースを着せる。上に青みの強いグレーの上着を羽織らせた。肌寒くなったので、体調管理に用心が必要だ。


 結界で温度をすべて管理してもいいが、周囲の変化に気づきにくくなる。何より、他の種族が使わない術を普段から多用するのは控えてきた。彼らが感じる物を遮断したら、同じ目線に立てなくなるからだ。この辺はベールの押し売りである。


「今日はパンケーキだわ!」


 リリスが手を叩いて喜ぶ。唇のリップは食べ終えてからと言われ、一緒にテーブルについた。甘みを控えたパンケーキと目玉焼き、ベーコンが並ぶ皿の隣にサラダも用意される。スープはなく、紅茶と果物のジュースだった。


 口を付けてすぐに、扉をノックされる。魔力がアスタロトなので、入室を許可した。彼は拒絶したとしても、平然と扉を開ける強者なので許可するしか選択肢がない。


「おはようございます、ルシファー様、リリス様」


 明るい口調で入ってきたアスタロトは、少し青ざめていた。手に報告書らしき書類を持っているが、ひとまず用意された椅子に腰かける。出されたお茶を飲んで落ち着いてから、そっと書類を差し出した。無言で提出された紙の上に目を走らせ、ルシファーは咳き込む。喉の途中で卵焼きが逆流しそうになり、両手で押さえて我慢した。


 最悪どうにもならなければ、転送しようかと迷ったくらい焦る。紅茶で口の中をさっぱりさせると、もう一度目を通した。たっぷりの蜂蜜を掛けたリリスは、残りをこっそりルシファーのパンケーキに垂らす。よそ見しながらフォークでパンケーキを口に放り込んだルシファーが、妙な声を出した。


「ぐ……っ、ふ」


 予想と違う甘い味がしたので、喉に詰まらせたルシファーが焦りながらジュースを一気飲みした。


「やだ、ルシファーったら。落ち着いて食べて」


 なぜか元凶のリリスに叱られる羽目に陥った。しょんぼりしながら、書類を引き寄せる。もう一度目を通し直した。記されているのは、厳重に個体管理されている人族が突然増殖した報告だ。あり得ない。成長が早い魔獣であっても、成人には年単位の時間がかかる。人族は成人が15歳前後の国が多く、そのまま15年近く必要だった。


「急にか?」


「はい。つい先日まで31人だった集落が、54人に増えていました。隣の集落から移動したと考えたのですが、そちらも28人から69人です」


 異常事態だ。人族の勇者が数多く押し掛けた原因もこの辺にあるかも知れない。本来は勇者の魂は何度も転生するはずだ。そのたびに記憶を引き継ぐため、数百年に一度だった。自称勇者が出始めたのは、1000年ほど前からだった。


「原因を調べるか」


「ルシファー様は動かないでください。これは私の領分です」


「いや、でも……」


「よろしいですね? 陛下」


 厳しい響きを宿した呼び名の変化に、ルシファーはごくりと喉を鳴らす。これは逆らうと痛い目を見る。素直に任せよう。


「一任する」


 丸投げした魔王に微笑み、アスタロトは残りのお茶を飲み干して席を立つ。見送るルシファーは蜂蜜漬けのパンケーキを、渋い顔で眉を寄せて噛みしめた。

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