1306. 固定概念が崩れました

 魔王と勇者は対である――この言葉はいつの間にか魔族の間で囁かれるようになった。だが言い出した者は不明で、自称勇者が多発したこともあり、今では昔話扱いだ。


「もしかしたら、重要な事実を含んでいるかも知れません」


 アスタロトは素直に、異世界人の知識を借りることを決めた。ここで意地を張っても何も進まない上、大切な主君に関わる事柄だ。さっさと解決してしまいたかった。


 手土産のお菓子を受け取ったアンナは、這い這いする双子をベビーベッドならぬ柵の中に入れた。絨毯の周囲を囲う柵はやたら頑丈で、鉄格子のようだ。


「随分と頑丈ですね」


「あ、はい。この子達、先日前の柵を壊したんですよ。ほら……目を離すとこうやって」


 言葉通り、魔力を手のひらに込めて格子を熱している。あれでは細い格子が折れたり溶けてしまうだろう。アスタロトは近づくと、爪の先で格子を突いた。ふわっと魔法陣が浮かんで消える。


「安全装置をつけておきました。熱しても凍らせても壊れないでしょう」


「助かります」


 アンナはお茶を用意し始め、イザヤは小説の資料を片付け始めた。散らかっていた机が綺麗になる頃、貰ったお茶菓子のチーズケーキが並ぶ。これは牛の魔物から取った乳を加工した物を使っているので、魔力が多く子どもには適さない。魔力酔いをしてしまうのだ。


 注意されたアンナは、じっくり観察してから「ブランデーケーキみたいですね」と笑った。酒に弱いと影響が大きいが、酒飲みなら問題ない。子どもは魔力が安定するまで指定の乳製品を避けるよう、指導されるのが魔族の常だった。その辺の事情は理解しているアンナは、一口摘んで頬を緩める。口に合ったらしい。


「魔王と勇者が対、それは異世界から持ち込まれた考えの可能性はありませんか」


 イザヤが口を開いた。日本では魔王と勇者が戦う話は数多く存在し、実際イザヤやアンナも知っている。誰かが伝えた可能性があると言われ、アスタロトはなるほどと納得した。だから誰が広めたか、不明だったのか。


「それと人間、じゃなくて人族が急に増えた話ですが」


 お茶を一口飲んで、イザヤは迷った。だが、以前から疑っていたのだ。可能性がある以上、彼らに話して調査を頼んだ方がいい。


「以前に巨大なスッポンが落ちてきた時、世界の裂け目が出来ました。召喚が同じ原理だとしたら、この世界に他の世界から人族が落下していませんか? 魔王様が以前戦った勇者の末裔の他に、新しくこの世界に落ちた人族がいる。そう考えたら、急に増加した理由も説明がつきます」


 アスタロトは目を見開いた。異世界から別の知識や考えを持ち込んだとはいえ、イザヤの話は目から鱗だ。まったく考えたこともなかった。人族は害虫のように増殖する、と思い込んでいたのだ。固定観念が崩れた途端、思い当たることがいくつか合った。


「ありがとうございます。早速調べてみますが、ご協力をお願いするかも知れません」


 ちらりと視線で双子を示す。あの子達を置いて出かけられないため、難しいか。そんなアスタロトの懸念を、アンナはからりと笑って吹き飛ばした。


「保育園がすぐにも預かってくれるので、問題ないです。私も仕事に復帰しますし。夫も魔王城の勤務職員ですから」


 大公が協力要請すれば、手伝うのは魔族の義務ですよ。現在は育児休暇で在宅なので小説を書いているが、イザヤは魔王城の文官だ。言われて思い出し、アスタロトが「では後日」と挨拶を残して消えた。するりと足元の影に吸い込まれるアスタロトを見送った後、アンナは不思議そうに床を撫でる。


「ここから出入りって凄いわよね」


「影ができる場所なら、どこでも行き来できると聞いてるぞ」


「それは便利だわ。ほら、どこでもドアみたい」


「今後は転移魔法陣であちこちへ飛べるらしいから、この子達がもう少し大きくなったら旅行しようか」


「いいわね」


 かつて兄妹だった夫婦は微笑み合い、お茶を飲み干すとそれぞれの作業に戻った。

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