690. 高嶺の花は壁の花

 腰まで届く長い金髪を留めたイポスの髪飾りを、さっと引き抜く。ぱらりと落ちた金髪は波打ち、柔らかい本来の姿に戻った。驚いた顔をするイポスへ微笑み、リリスは手櫛で金髪を梳く。


 上位貴族の正装は、髪を上に結い上げる種族が多い。しかしイポスは未婚の令嬢であり、そのルールの適用外だった。側近の少女達も髪を結っているが、ハーフアップにしたり半分ほど垂らしていたりと自由だ。


 未婚者は髪をきつく結わないのが魔族共通の認識だった。護衛の仕事の支障になると結うイポスは、事情を知らなければ既婚者のように誤解される。年頃の女の子なのだから、もっと着飾ってもいいと思うのだ。それがお祭りの日なら余計に……。


「イポスの髪は綺麗で好きよ。出来たら、解いていて欲しいの」


「姫のお望みとあれば」


 子供の我が侭そのものの口調で告げられ、気遣いに感謝して受け入れる。以前なら頑なに断ったイポスも、だいぶ主人の奔放さに慣れてきた。手早く髪を頭頂部近くで結び、ふわふわと揺らす。


 仕事中のイポスが自ら髪を解くことはない。だからリリスが我が侭を振り翳した。お姫様の希望なら仕方ない、誰かに咎められることもない。打算的なお姫様は、さらに我が侭を口にした。


「ルシファー、紅石の髪留めが欲しいわ」


「いいよ」


 収納から取り出してリリスの手に置き、彼女がイポスに渡すのを微笑んで見守った。困惑するイポスだが、ルシファーが頷くと礼を言って髪に飾る。


「では行きましょう」


 この即位記念祭で婚姻相手を見つける種族は多い。護衛だけれど、イポスは未婚女性で……10年に一度のチャンスを棒に振るのは勿体無かった。せっかく魔王や魔王妃候補の近くで注目を浴びるのだ。いい相手を選んで欲しいと考えるのは、リリスだけではなかった。






 魔王と魔王妃候補の姫が仲良く腕を組んで出ていくのを見送り、側近達は気を引き締めた。


「リリス姫の橙色の靴を履いた子供を発見したら、この魔道具に魔力を流してください。通信機として使えますので、なくさないように」


「「「「はい」」」」


 手のひらに収まるサイズの小型の箱を渡していくベール。魔法陣が表面に刻まれた小箱を受け取り、それぞれが分担すべき範囲を見取り図で確認して退室した。


 ベールとルキフェルは何やら相談しながら足早に廊下を抜け、アスタロトとアデーレが背を向けて逆方向へ歩き出す。最後まで部屋に残った少女達は、複写した見取り図の拡大図を覗き込んだ。中央部分は一番出入りが激しい地区だ。侍従や侍女達が出入りする扉があるため、解放されていた。


 開閉が出来ないよう封印した魔法陣はルキフェルのお手製で、壊されれば警報が鳴る。人々が出入りできる場所は限られていた。その重要な場所を託されたと気合を入れた少女達は、ルーシアを先頭に歩き出す。


 大きな出入口が2つあるため、ルーサルカとシトリーがそれぞれに出入りの監視を行う。その間にルーシアとレライエが見回る計画を立てて別れた。レライエは緑がかった青いドレスを揺らしながら、腕に抱いた翡翠竜を覗き込む。金色の瞳を輝かせて嬉しそうな彼は、背中の一部の鱗が剥げていた。


 恋人にドレスをプレゼントしようと数枚剥いだらしい。その心意気はともかく、洞窟にある財産を使えばよかったのに……レライエが指摘すると「あれは君にあげる予定だから」と照れながら答えたらしい。完全にドM属性の貢ぎ体質だった。己の鱗と似た色の絹を見つけて、大喜びで購入したのだ。


 ルーシアは青いドレスだった。こちらも婚約者からプレゼントされたもので、ふわりと柔らかくスカートが広がるデザインだ。しかし膨らますためのパニエを使わず、動くと風で広がる軽い生地を多用していた。室内で立っていると、すとんとしたシンプルな形に見える。


 それぞれに婚約者から送られたドレスを着た2人を見送ったルーサルカとシトリーは、複雑な心境で溜め息をついた。


「運命の人って、どこにいるのかしら」


「さあ……見つけ方がわかったら私にも教えて」


 リリスと一緒にいる姿から、注目され「高嶺の花」扱いされていると知らない2人は、目的の子供を探すために手を振ってドアの前で、壁の花となった。

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