550. 魔族に敵対する2本足の獣

 眼下に広がるのは、魔王に敵対する愚かな種族の築いた都だった。


 ばさりと黒い翼を広げる。4枚の翼を羽ばたかせた魔王の純白の髪が魔力に煽られた。下から舞い上げる陽炎に似た魔力で踊る純白の髪に、リリスは手を伸ばす。そこに恐れや怯えはなく、ただ純粋にお気に入りの髪を掴む笑顔があった。


「パパ、やっつけちゃうの?」


「ああ。今回はさすがに許す範囲を超えている」


 警告は何度も行ってきた。人族の砦を壊して撤退を促し、領域侵犯した都を滅ぼし、魔王妃に手を出した愚か者を徹底的に叩きのめした。それはすべて人族を存続させる考えの上に行われ、常に魔族に手加減を強要する。


 絶滅させろと騒ぐ貴族を抑え、復讐に燃える魔獣を宥め、陳情を退けてきたのだ。人族が勇者を送り込むのは、世界のことわりだから構わない。しかしリリス達を誘拐したときも、生きたゾンビを作り出した行為も、まだ無力な幻獣の幼子を攫うことも、すべてが魔族の逆鱗に触れる行為だった。


 召喚者を異世界から呼び寄せて、魔力バランスを崩し、魔の森を狂わせた。増長した人族は無力さを免罪符に、魔族へ刃を向ける。それが幼子の悪戯を許す大人の寛恕の上に成り立つことも知らずに。


 何も知らずに過ごす人族の姿を、以前は哀れだと思っていた。愚鈍で無能な王に虐げられる、被害者だと考えたのだ。しかし違っていた。彼らは己の王が愚鈍かどうか、気付こうとすらしない。魔族に攻撃を仕掛けておきながら、報復を不当だと騒ぎ立てた。


 勇者以外の人族が魔の森に入れば、それは狩られる対象となる弱者に過ぎない。そんな者どもが、愚かにも魔王の配下に手を出した。魔物であるサーペントを狩るなら許そう。意思の疎通がままならぬオークやゴブリンを狩るのは、魔の森から生まれた人族にも権利がある。


 だが魔王の許可なく、魔族を狩る権限は与えていない。ユルルングルは魔族であり、希少な幻獣であり、魔の森の浄化を担当する重要な種族だった。地に棲まう魔獣の頂点に立つフェンリル然り、空の護り手たるペガサス然り。


 魔族は子が生まれにくい種族が多く、どの種族も攻撃の際に子供だけは標的にしない。そんな幼子を親から引き剥がし、傷つけ、誘拐した。


 人族にかける慈悲は尽きた。彼らは非力で哀れな種族ではなく、魔族に敵対する愚かな2本足の魔物だ。言葉は通じても、意思の疎通が図れない愚か者どもに、裁きの必要な時期が来た。


「陛下、我が眷属に牙と剣を振るう許可を頂きたく」


 恭しく尋ねる吸血鬼王の金髪が風に遊ぶ。コウモリの黒い羽が彼の背を飾った。好んで暗い色を纏う男は、整った顔に残忍な色を浮かべる。


「好きにせよ。ただし滅ぼすな」


「有り難き幸せ。必ずや陛下にご満足いただける結果をお持ちいたします」


 優雅に一礼した彼の姿が消えた。これから行われる残虐な行為を見据えるように、幼女の眼差しは地上へ向けられる。


「リリスは人族をどう思う」


 疑問ではない。ルシファーの中で結論は出ていて、リリスの意見に左右される事はない。ただ、幼子に見せる景色として、血塗られた光景は相応しくない。それでも彼女を離す選択肢はなかった。


 定位置となった左腕に寄りかかり、純白の髪を掴んだリリスは、足元をじっと見てから口を開いた。


「あのね、パパは優しいから。リリスはパパが決めたら、それでいいの。パパだけでいいの」


 ルシファーが決めたのなら、傷ついても寄り添う。そう言葉少なに伝える愛し子に頬擦りし、最後の覚悟を固めた。


「余は魔王ルシファーの名において、人族への侵攻を行う。ベールは魔王軍を集結せよ。参加する貴族はルキフェルの指揮下に入れ。これは撤回のない魔王の宣誓である」

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