969. 預けたんじゃなく置いてきた?

 ぴょこっと顔を覗かせたレラジェは、猫の着ぐるみ姿で首をかしげる。目を輝かせたリリスが手を伸ばし、抱き上げようとした。しかしルシファーに優しく阻まれた。


「ご飯が終わってからにしなさい」


「わかったわ」


 まだ果物やデザートを食べていない。リリスは素直に納得した。ルシファーの膝に座り直し、手前に置かれた紫の巨峰を頬張る。右手で食べながら、左手でレラジェに与えようとするのを苦笑しながら許した。


 リリスの膝に手を置いて、レラジェはもぐもぐと葡萄を食べる。以前より成長した気がした。こんなに身長があったか?


 観察しながら、リリスの前に梨を用意する。剥いた白い果実を、リリスはぱくりと口に放り込んだ。デザートのプチタルトやチョコレートも、ひとつずつ選んで前に並べた。


「ルシファー様。ずいぶんと甲斐甲斐しいですね」


 いつもならリリス自身が、自らの魔法で引き寄せる。ルシファーの分まで選ぶのが日常だったのに、少し眠った間に何があったのか。


「ああ、魔法を封じたのですか」


 何かしたのですね。そんなニュアンスを含んだ柔らかな声に、ルシファーは肩を竦めた。魔法を封じたなら、彼女が不便しないように助けるのはオレの役目だ。そう考える魔王の足元の幼子は、もらったチョコレートを口に頬張った。


「食べたから、レラジェを抱っこしていい?」


「この部屋から出たらダメだぞ」


 頷いたリリスが膝から降りて、幼子を抱き上げる。やはり大きくなった気がして、ルシファーは首をかしげた。リリスの腰に頭が届くかどうかだったのに、頭ひとつは成長している。


「レラジェは急に成長したな」


「でも前と同じ猫ちゃんの着てるの」


「それなら、アデーレがサイズ直ししましたよ」


 ルシファーの疑問を打ち消したリリスへ、アスタロトが答えを提示した。サイズ直しするほど成長したのは間違いないらしい。


「そういや、レラジェはベルゼビュートが預けてきたんじゃないか?」


 駆けつけた時にそんな話をしていた。思い出したルシファーに、アスタロトが書類を一枚差し出した。報告書、いや届出書か。内容は『迷子届け』だった。あいつ、預けたんじゃなくて置いてきたのか。


 ピンクの巻毛の側近の仕業だろう。きちんと説明せずに預けられたので、迷子扱いで魔王軍が回収したらしい。軍の紋章が入った便箋に定型の文章が並ぶ届出書に、受け付けの署名をして返した。


「人族への対応ですが、まずは彼らが空から降ってきた仕組みを解明します。事故や災害ならば、対策を打たねばなりません」


 空を飛べる魔族ばかりではない。竜巻のような現象で人間が巻き上げられたなら、他種族が同様の被害に遭う可能性を潰すのが先決だった。人族の攻撃だったと判明すれば、これは大公や魔王軍の出番だ。


「わかった。任せる……オレは残った地域の視察で忙しい」


 ここ数日動けなかったが、アスタロトが戻ったなら書類処理を夕方以降にしても平気だろう。午前中から午後にかけて視察とお披露目を行い、帰城してから数時間の書類処理で追いつける。真剣に今後の予定を決めたところで、アスタロトは切り出した。


「ところで……ルシファー様。ルキフェルが持ち帰った鉄の塊について、アベルが興味深い情報を持っていました。彼をしばらくルキフェルの補佐につけようと思います」


「……わかった。アベルは人間だ。1日3食つき、労働時間の上限は8時間の条件で認めよう」


「ルキフェルの研究所なら、そのくらいの条件を定めないとアベルが潰れますね」


 くすくす笑うが、アスタロトも似たような条件を記した書類を用意していた。承諾の署名待ちの人事異動書類にサインする。その書類をファイルに挟むと、数枚の書類を代わりに机に置いた。


「こちらは緊急用ですので、今夜中に署名して朝にはお渡しください」


 頷くルシファーが引き寄せる。普段サボるが、必要な仕事はきちんとこなす魔王の目が書類に向けられた。


「今夜はこれで失礼しますが……あれはどうしますか?」


 アスタロトに問われ、眠ったレラジェを抱っこしてうとうとするリリスに気づく。苦笑いして近づき、腕の中から幼子を取り上げてアスタロトに押し付けた。持ち帰れと示す主君に一礼し、小脇に抱えられた着ぐるみの幼子は、ぬいぐるみそのものだ。眠ったリリスを抱き上げ、少し体温が高いことに気づいた。


 いつもよりしっかり上掛けに包み、ベッドに横たえる。その隣に滑り込んで浄化を掛けた。書類の処理は明日の朝だ。目が覚めてからでも間に合うだろう。誘われるように、ルシファーもリリスを抱き締めて目を閉じた。

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