119. 育児書に載ってた、あれか

 さすがにゾンビ祭のあとに夕食を食べる気になれず、膝の上にリリスを乗せてソファに沈み込む。風呂のあとの着替えも一騒動あり、自分で着るから手伝うなと言い渡されたルシファーは、ちょっとばかりお疲れだった。いつもと同じ行動のはずなのに、どうしてかリリスが嫌がるのだ。


 何が悪いのか――どうして嫌がるのか。何が嫌なのか。悩みが尽きないルシファーは、膝の上で黒髪をなんとか結ぼうとしている娘を見つめる。普段は「パパおねがい」と結ばせてくれるのに、今日はまったく触らせてくれなかった。乾かす魔法が精一杯のお手伝いだ。


 そっと手を伸ばして黒髪に触れると、ぱちんと手を叩かれる。


「リリスがするの!」


「ごめん」


 しょんぼり溜め息を吐いて謝ると、リリスが困ったような顔でこちらを見ている。ちょっと期待の眼差しを向けると、幼女はリボンを放り出して寄りかかった。


「パパ、てつだう?」


「うん、お手伝いさせて欲しいな」


「……やらせてあげる」


 大喜びで起き上がったルシファーは、さらさらの黒髪に手を触れて弾かれないことに感動する。何気なくしていた行動を拒まれると、困惑してしまう。慣れた手つきで髪をまとめると、リリスがくしゃくしゃにしたリボンで器用に結んだ。


「終わり。リリスはリボンが似合うね」


 褒められたリリスは足をばたばた揺すりながら、腕の中で大人しくしている。頬を緩ませたルシファーの指を、リリスがきゅっと掴んだ。赤ちゃんの頃によく見せた仕草が懐かしくて、自然と表情が和らぐ。


「もう寝る?」


「やだ」


 あれ? また我が侭が始まった。このままでもいいかと、ソファでリリスを後ろから抱き締める。徐々にリリスが重さを増して、気付いたら腕の中で寝息を立てていた。


 ゾンビ騒動や遠足で疲れていたんだろう。だから少し我が侭を言ってみただけ。嫌われたわけじゃないと自分を慰めながら、ルシファーはベッドへ移動した。






「パパ! リリスがする!!」


 なぜか朝から怒られるパパ魔王は、手伝おうとした手を引っ込めた。昨夜の娘の不機嫌さはそのまま残っており、すべて自分でやりたがる。「嫌だ、ダメだ」と言われるたびにしょげるルシファーだが、今までの癖でつい手を伸ばしてしまうのだ。


「わかった。リリスがするのをみてる」


 約束させられて、はらはらしながら幼女の着替えを見守る。しかも幼女は将来の嫁――もう立派な変態であった。


 テーブルに朝食の用意をしていた侍女のアデーレは、リリスの突然ともいえる豹変ぶりに心当たりがある。失礼を承知で、ルシファーに耳打ちした。


「陛下、リリス姫は『イヤイヤ期』ですわ」


「イヤイヤ期……育児書に載ってた、あれか」


 聞き覚えがある単語に、一度読んだ本の中身を頭の中でひっくり返した。たしか2~3歳くらいで訪れる、親にとって大きな試練だったか。このイヤイヤ期が来るのは正常な成長過程の一環で、親は否定せずに受け止めてあげなさいと書いてあった……気がする。


「アデーレ、助かった!」


 思わず彼女の手を握って礼を言うと、見慣れていても絶世の美貌にアデーレが頬を染める。そんな2人の姿に、リリスが頬を膨らませた。だんだんと足を踏み鳴らして、騒ぐ。


「ダメ! パパはリリスのだもん」


 慌ててアデーレの手を離し、床に膝をついて視線の高さを合わせる。着替え終えたリリスのボタンはひとつずつズレているし、襟は立ったままの状態だった。それでもさりげなく抱き寄せながら襟を直し、ボタンはあとで理由をつけて直せばいいと抱き上げる。


「パパはリリスので、リリスはパパのだもんな」


 ここで否定されたら泣くかも知れん。子供のようなことを考えるルシファーに、リリスはふにゃりと笑った。ルシファーの純白の髪を握ってご機嫌のリリスを微笑ましく受け止めるアデーレは、実は既婚者で2児の母でもある。かつて自分も通った道を歩く魔王を見守りながら、手早く朝食を並べ終えた。


「さあ、お召し上がりください」

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