288. 吸血鬼王の執着

 目の前で主を傷つけられること、己の手が届く場所から主を連れ去られたこと。今まで感情を抑えきれずに爆発した事例は、すべて魔王が絡んでいる。純白の髪と雪のような肌を持ち、限りなく白に近い銀の瞳をもつルシファーは、初めて会った頃から変わらなかった。


 自分以外の誰かを守ろうとして、平然と己の身を危険にさらす。強大な魔力があろうと、どんな魔法陣を操ろうと、死ぬ確率はゼロではない。そう説得しても彼は首を縦に振らなかった。幼すぎる子供の頃からルシファーは、王としての覚悟を持っている。


 曰く「もっとも強大な力を持つ存在が魔王なら、オレが守らないで誰が民を守るのだ? 最強の存在が戦わずに、誰が多様な種族を保護する? 弱い種族だからと生きる権利を奪うのは間違いだろう?」そう尋ねられ、さすがに言葉に詰まった。


 正論である以上に、己が傷ついたり傷つけられる痛みを受け入れる強さに首を垂れたのだ。この人なら、獣のような自分でも近くに置いてくれるかも知れない。そう願って、望みを叶えられた。


「今更、逃がす気はない」


 ルシファーに従い始めたあの日から、気づけば7万年近くを生きた。長寿な種族である吸血系であっても、そこまで長く生きる者は他にいない。同族に化け物と罵られたこともある。しかしその分だけ長く主の傍に侍ることが出来ると感じただけだった。


 本来のアスタロトは喜怒哀楽がほとんどない、殺戮人形に過ぎない。その人形から感情を呼び起こし、微笑みを向けて導いた存在を奪うなら――世界を滅ぼす原因となろうが、敵を排除するのみ。







 最初に転移したのは、ルシファーの気配を残す地下だった。魔力の痕跡を辿った先にあった地下室に、数人の魔術師らしき死体が転がっている。どうやら魔力の電池がわりに使われたらしい。魔力も生気も搾り取られたカスを蹴飛ばし、床に薄く残る魔法陣に手を触れた。


 冷たい石の床に刻まれた魔法陣は、アスタロトが魔力を流すと赤く光る。しかし人族の魔力に限定された文字により、転移を拒絶された。その直後魔法陣が崩壊していく。証拠を残さない魔法陣の仕掛けが発動したのだろう。


「ふん、小細工ばかり得意な種族だ」


 吐き捨てて、周囲の時間を一時的に凍結する。吸血一族の中で、上位種であるのみが揮う能力だった。己の魔力をかなり消耗するが、贄として魔力と血を捧げて時間を停止する。吸血鬼王であるアスタロトの魔力をもってしても、わずか数秒しか維持できない魔法だった。


 牙の先で噛み切った指から滴る血を床に吸わせながら、赤い瞳が魔法陣に刻まれた記号と文字を記憶していく。焼き付けて覚えるルキフェルほどではなくとも、アスタロトも記憶能力には自信があった。


 行き先を示す記号を読んだ瞬間、保っていた時間が流れ出す。急激に失われる魔力に眩暈を感じ、とっさに壁に手をついた。膝をつくのは主である魔王のみ。人族の罠ごときで無様な姿はさらせない。


「魔力を縛る魔法陣、か」


 強大な魔力をすべて封じることが出来るか、それはわからない。当然だが力は大きい方が、小さい方を飲み込む法則があった。しかし魔力を縛る方法があるなら、大切な主人を傷つけられる可能性が高まる。狭い暗室で、赤い瞳は消えた魔法陣を睨むように厳しい色を浮かべた。


 ひとつ息をついて、怠さを無視した。たどり着くまでに、あまり魔力を無駄遣いするわけにいかない。最後の手段が残されているが、アスタロトは使いたくなかった。


「俺に通用すればいいがな」


 自信をうかがわせるアスタロトは、読み取った先へ転移する魔法陣を描く。その先に待つ罠に魔力を封じられようが、おくれを取る程度なら魔王にはべる資格なし――吸血鬼王であった側近は、切った指に伝う血を舐めとって魔法陣を発動した。

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