990. まさかの忘れ物と衝撃の一言

「休憩だ」


 むすっとした顔で開き直ったルシファーだが、それを許す相手ではない。ゴネればゴネるだけ自分の首を絞めていた。長い付き合いでそれは理解するルシファーだが、簡単に折れる気はない。


 オレの方が立場は上なんだからな! そんな目で睨みつけた途端、びくりと肩を震わせた。いつも同じ繰り返し、虎の尾を踏んでから後悔するタイプだ。


「なるほど……休憩、ですか。北の大陸から連絡が入ってないとでも思っておられるのでしょうかね。この馬鹿は……」


 あ、馬鹿って言っちゃってる。ルーサルカが口を押さえて視線を彷徨わせる。ルーシアは休暇で実家に戻ったし、レライエは女の子の日で寝込んでいた。シトリーは新しい魔法の習得で、魔王城の研究所へ出向いた。今日の魔王と魔王妃に付き添うのは、護衛を除けばルーサルカだけだった。


「アシュタ、なんで怒ってるの?」


 ルシファーの髪をアスタロトの手から取り戻し、リリスは乱れてしまった婚約者の髪を撫でる。指で梳くリリスはこてりと首をかしげた。


「お腹空いたから、アベルのお家でご飯したのは……いけないこと?」


 北の大陸に行ったら、どうしてか魔族が皆お祝いの言葉をくれた。嬉しかったのでありがとうと答える。それが噂という炎に油を注いだのだが、当事者のリリスに自覚はなかった。基本的に人に褒められて育ったお嬢様のため、他人の厚意を素直に受け取る土壌がある。


 レラジェの卵を抱っこしたリリスを膝に乗せるルシファーは、さりげなくリリスを庇う姿勢を取った。卵に危害を加えられる心配はしないが、リリスを人質にされる危険性は否定できない。アスタロトはそんな主君とリリスの姿に溜め息を吐いた。


「リリス様、お祝いの言葉をたくさんもらったでしょう?」


「そう! よく知ってるわね。皆優しくて、おめでとうって言ってくれたの。私、ルシファーのお嫁さんになるでしょ! だから愛されて認められるのは、とても幸せだわ」


 なるほど、そう受け取ったのですね。そんな感想が滲む笑顔のアスタロトは、ルシファーと視線を合わせた。途端に逸らすのは、ルシファーが後ろめたいからだ。余計な噂をばらまき、混乱させ、叱られる原因を作った心当たりがある。


 責めるなら陛下のみ、自覚のないリリス姫を叱っても効果はない。判断の早い側近は、目を逸らした魔王にターゲットを絞った。


「陛下は心当たりがおありですから、わかりますね?」


「な、なんのこと……すみません、わかります」


 とぼけようとして、アスタロトのそれはそれは美しい笑顔に身の危険を感じたルシファーは、前言撤回した。危機管理能力が高いのは結構です。笑顔の裏に隠された声に、びくりと怯える。ルシファーの姿を見て、格好悪いと思う者はいなかった。


 明日は我が身だ。尻尾を巻いて震えるルーサルカを庇うように立つアベルも、足ががくがく揺れていた。この震えを止めるのは至難の業だ。


「明日からしばらく、卵はお預かりします」


「え? それじゃあ、アシュタが温めてくれるの?」


 リリスの素朴な疑問に、アスタロトは平然と答えた。


「温める必要はないのですよ。レラジェは閉じこもっただけで、雛というわけではありませんから」


「あら……そうなの」


 残念そうなリリスに手を伸ばし、巻いていたスカーフごと卵を回収したアスタロトは転移で卵を飛ばす。リリスは手放した卵が視界から消えると、机の上の果物に手を伸ばした。デザート用にカットされた林檎を頬張り、齧った残りをルシファーの口に押し込む。


「ルシファー様は数日の書類整理の後、ハイエルフの土地から視察の続きをお願いします」


 ようやく呼び方が「陛下」から「ルシファー様」に戻ったことに、アスタロトの怒りが和らいだことを悟り、ルシファーは大きく頷いた。北の大陸に巻いた噂が薄れるまで、南の大陸側から視察を行えばいいのだろう。しゃくしゃくと音を立てて林檎を咀嚼するルシファーに、リリスは葡萄を突っ込んだ。


「ほら、いい加減になさい。城に戻ります」


 アスタロトが転移で魔王と魔王妃、室内のお泊り用ベッドを回収した。おそらく中庭か城門前だろう。後を追った吸血鬼王の姿が消え、緊張したアベルが力を抜く。最大の危機は脱した。ほっとしたアベルだが、後ろでルーサルカが呟いた声に肩を揺らす。


「私、明日休みなの……」


 女の子の口から洩れた衝撃の一言にアベルは固まり、ヤンはルシファーの気配を追って城下町を疾走した。


「我が君、ひどいですぞ!!」

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