989. 休めないアベルの危険な休日

「これも美味しいわよ」


 勝手に収納ボックスを開けているお姫様は、無邪気にキッシュを頬張る。魔法がまだ不安定なアンナは、ルキフェル開発の魔法陣がついた収納ボックスを愛用していた。


 部屋の中に設置された箪笥に似た扉の中は、収納空間と同じく時間がほぼ止まる。温かい食べ物や飲み物、逆に冷たい物も一緒に保存可能な上、多少なり魔力があれば開け閉め自由という便利さが受けて、かなりの数が作られた家具の一種だ。前世界なら家電分類だろう。


 魔力が不安定な種族や収納空間をもてない魔族が利用し、飲食店の店員なども便利なのでよく利用する食材保管庫だ。アンナの用意した食事は、なぜか侵入者の魔王やリリスの胃を満たしていた。


「リリス、あーん」


「いやいやいや、おかしいでしょ。俺の食事っすよね」


 一度は諦めて寝ようとしたアベルだが、理不尽すぎる侵入者達に飛び起きた。このままでは食べ尽くされてしまう。それより、婚約者ルーサルカに手出しできない俺の前でイチャつくとは! 理不尽だろう、と怒りに任せて抗議する。


 寝不足に陥ると、人は判断力が落ちるものだ。そしてアベルもその例にもれず、口調も態度も砕けていた。ぐしゃぐしゃと髪をかき乱して叫んだアベルが、びくりと肩を震わせる。飛びのこうとしたが間に合わず、喉にひやりとした刃が触れた。


 転移魔法で、自宅に不法侵入された家主の首は、物理的な危険に晒される。


「陛下に何という口の利き方でしょうね。一度死んでみますか?」


「ご遠慮します」


 一度死んだら蘇れないので。やっぱり居場所が早々にバレたじゃないか。そして俺の死亡フラグが立った、アベルは青ざめた顔で抵抗を諦めた。両手を肩の高さに持ち上げ、降参を示す。くつりと喉を震わせてアスタロトが笑った。


「随分と賢くなりましたね」


「お陰様で」


 賢く付き合わないと、さくっと処分されてしまう。アベルの心の声を聞いたように、ルーサルカが間に入った。


「お義父様、アベルが死んでしまいます」


「殺す気はありませんよ(まだね)」


 声にしなかった後半が怖いんですが?! 可愛がっている義娘の婚約者という立場が、彼にとってどれだけ有益で邪魔か。青ざめるアベルは大人しく身じろぎせずに我慢した。


「ところで陛下。どうしてアベルの家にいるのでしょう」


 護衛のヤンは外の庭で日向ぼっこをしているので、周囲で噂になっていた。おかげでアスタロトが見つけるのは簡単だったが……逃げたくせに色々甘いルシファーに弁明のチャンスを与えるところが、彼なりの譲歩だった。


 魔力を結界で隠すくらい、造作もない魔王だ。しかし隠れているくせに、下手な小細工はしない。忘れるというより、それをしたら緊急時に困ることを身に沁みて知っていた。ならば逃げなければいいのだが、この癖は直らない。


「な、なぜだろうな」


 目を逸らす魔王は、御年8万歳を超える長寿にもかかわらず、まだ未成年者のような外見を誇る。圧倒的強者のはずが、どうしてか側近達に弱かった。必死に腕の中に隠す姫に関してなら、最弱種族である。アベル以上に顔色を悪くしたルシファーに、剣を手にしたままのアスタロトが近づいた。


「魔王城に戻られてはいかがですか? 


「し、視察の最中だ」


 まだ仕事が終わっていないからと逃げるルシファーの横に歩み寄り、ぐいっと髪を掴んで視線を合わせた。そんな乱暴でいいのか? 俺の言葉より不敬じゃないか。そんなアベルの視線を無視し、アスタロトは整った顔に笑みを貼り付けた。


「北の大陸で仕事中の陛下が、なぜこの城下町にいるのでしょうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る