1334. 犠牲を払っても守る

 足首まで届く長い髪は、半分ほどが肩の下で切られた。残った髪も長さがまちまちだ。後で叱られるな、くすっと笑う。叱られることが出来るよう、誰一人欠けることなく戦い抜かなくてはならない。


 森の木々は魔力を傾けて魔王を守ろうと動く。その姿は我が子を庇う母親に似ていた。


「安心しろ、あなたの息子はそこまで弱くないぞ」


 ばさりと枝を伸ばした森の木に触れて囁き、ルシファーが魔力を放つ。魔力を吸い出す裂け目がぐらりと揺れた。こちらに向き直ろうとしている。魔力を餌にルシファーは己を囮として使った。


「ルシファー様っ! そういう真似はおやめくださいと何度も」


「わかってる、今回だけだ」


 いつも同じことを言ってまたやるくせに。睨みつけたアスタロトは、注ぎ終えた闇を裂け目の中で凝縮する。さっさと倒すしかない。長引けば、ルシファーはさらに無茶をするだろう。この人はそういう人だ。だから皆が従うし、愛される。分かっていても腹立たしかった。


「内側から引き裂いてあげますよ」


 まだのままで、アスタロトは血に混ぜた闇を操る。にやりと笑った口元が残虐さを示すのに、整った顔は魅力的だった。裂け目の向こうに何かがいるのか、反射的に近づいた者に攻撃しただけか。どちらでも関係ない。


 傷つけられたのは我が主君であり、この世界を統べる魔王陛下なのだから。


「俺を相手に出来る栄誉を抱いて死ね」


 ぐっと拳を握り締める。連動した動きで闇が何かを潰した。ぎりりと締め付ける闇の内側で、くちゃりと折られ潰された物が悲鳴を上げる。金切声に似た気持ちの悪い響きを、ルキフェルが遮断した。


「うるさいっ、集中力が乱れるだろ」


 舌打ちしたドラゴンがもう一度ブレスを打ち込む。放たれた魔力を含まぬ攻撃が、裂け目の中央を貫いた。ぐにゃりと捩った動きで裂け目の形が変わる。


「お待たせしました」


 待たせた書類を提出するような口調で、ベールが霊力を放つ。閉じようとした裂け目の中に飛び込み、その上をベルゼビュートが切りつける。数本の剣で串刺しにして塞いだ彼女が飛び降り、胸を反らした。豊満な胸が揺れる。


「あたくしの手を煩わせるなんて、少し鈍ってるんじゃなくて?」


「悪かったな。助かった、ベルゼ」


 アスタロトやベールへの嫌味に、ルシファーが反応してしまい困惑した顔で「いえ、陛下のことではありませんのよ」と呟く。真剣な顔で裂け目を睨んでいたリリスが叫んだ。


「まだよ!」


 縫い留める形で裂け目を塞いだ剣が、中からの圧に負けて押しだされる。


「ならば俺が塞ぐ」


 アスタロトは塞がった左腕の傷の上を切った。魔力で作られた虹色の刃が容赦なく肌を切り裂き、大量の血が裂け目に吹き付けられる。生き物のように動いた血が黒く濁り、闇で強化して貼り付いた。


 どんっ! ぐぎゃぁああぁ……。


 大きな音が響き、耳のいい魔獣やドラゴンは慌てた。ルキフェルの防音の結界をもってしても、その音は漏れ出る。エルフやデュラハン、コボルトに至るまで。ほとんどの種族がその音を不快に感じた。咄嗟にリリスの耳を塞いだルシファーは、伸び上がった森の木々に抱き留められる。


 葉の間から見えた景色は、裂け目の内側で破裂した霊力が漏れ出て周囲を切り裂く姿だった。魔王城の防御壁に当たり、散って森の木々に吸い込まれていく。千々に裂かれた異世界の穴は跡形もなく吹き飛び、安堵の息をついた。


「リリス、もう平気だ」


「びっくりしたわ」


 ほっとした彼らの目に映ったのは、半身を朱に染めたアスタロトが落ちる姿だった。


「アスタロト!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る