547. 子を守る親の覚悟
※流血表現があります。
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必死にリリスが引っ張る。体重をかけるようにして引く先は、茂みになっていた。何も見えない、たいした魔力も感じない場所に何があるのか。疑問が浮かびながらも、ルシファーにリリスの願いを断る選択肢はなかった。
「わかった。行くからちゃんと歩きなさい、転ぶぞ」
注意されても、リリスの意識は茂みに向かっている。手を離しそうなリリスの小さな手をしっかり掴み、一緒に茂みに分け入った。ローブに触れる葉が避けるように動く。魔の森だからなのか、ルシファーだからなのか。いつものことなので、ルシファーは大して気にしなかった。
ある地点を過ぎると、突然足元の葉が絡みつく。その先へ進む者を拒むように、茂みの枝や葉が行く手を遮った。繋いだ手の先で、リリスが手を伸ばしている。
「リリス、おいで」
じたばたする幼女を抱き上げた。森が抵抗する状態で、このまま踏み込めばリリスが危険だ。彼女の願いを叶えることは重要だが、それ以上にリリスの安全が最優先だった。茂みに埋まりそうな小柄な子供は、高い視点になって目標物を見つけたらしい。
「あそこ! パパ、あの子!」
リリスが指さす先に、傷だらけの蛇が倒れていた。10mほどの蛇は、身体の大半を血に濡らす。赤黒い血は傷口からまだ流れ出ており、ぬらぬらと全身が艶めかしく蠢いた。僅かでも前に進もうとする蛇の鱗や皮は剥された痕が痛々しい。
「ユルルングルか!」
親蛇だろう。父か母か、外見では区別できない。連れ去られた我が子を求める親の執念に、背筋がぞくりと震えた。これほどの愛情を注ぐ親から子を奪おうとしたのか。己の命が尽きようとしているのに、それでも我が子を取り返そうとする深く強い感情に心は揺さぶられた。
留めようとしていた枝を振り払って駆け寄り、膝をついて蛇の頭へ手を伸ばす。リリスを下ろせば、泣きそうな顔でぺたんと座り込んだ。小さな手で必死に手招きする。
「パパ、早く!! 黒くなっちゃう」
「少し待て。落ち着かせる必要がある」
「うん」
幻獣と呼ばれる種族の中で、
差し出された手を判断できず、虹蛇はシャーと
「落ち着け、ユルルングル。余を覚えているか? ルシファーだ」
噛まれた右腕から、太い牙が抜ける。滴る赤い血にちろちろと舌が這う。銀に近い瞳が申し訳なさそうに細められた。数回顔を合わせた程度だが覚えていたらしい。ほっとしながら、ユルルングルを撫でてやった。
「酷い傷だ、動くな」
「我が、むすめ……」
傷ついた喉が言葉を紡ぐと、それだけで蛇の身体から赤黒い血が流れる。喉を突かれたのか。眉をひそめて「触れるぞ」と声掛けした。ぐったり倒れた蛇の喉は上から下へ貫かれていた。硬い鱗に弾かれて切り落とすことができず、上から体重をかけて突いたのだろう。
酷い傷痕だ。生きているのが不思議なほどの傷に手を乗せ、大量の魔力を流し込む。
「痛むが我慢しろ」
強制的に内側から修復しなくては保たない。親が死ねば、子蛇も長くは生きられない。幻獣や神獣の類は、番や血の繋がりを最上とする生き物だった。強制的に繋がりを奪われれば、発狂したり自害する者も少なくない。繁殖能力も低いため、彼らは魔族の中でも保護対象とされてきた。
ばたん、苦しそうにユルルングルの尾が揺れる。激痛を堪えようと震える肌は、皮が剥がれて内側の筋肉や内臓の一部が露出していた。まずは内側を修復し、最後に外を整える。優先順位を決めて魔力を注ぐ。
「痛いの、飛んでけ、飛んでけ」
隣に座ったリリスが血塗れの蛇に手をかざす。言いつけを守り触れはしないが、ぎりぎりの位置で撫でるように動かした。ふわりとリリスの魔力が声に乗る。動かす手の動きに従って、血塗れの肌に鱗が数枚生えた。そのままリリスはお呪いを唱えながら手をかざす。こちらは問題ないと内臓へ注力した。
押し返される抵抗に似た感触がふっと途絶える。外側はまだ痛々しいながら、体内の魔力循環は戻ってきた。まだ魔力を操れる段階にない身体で、親蛇は子を探そうと動く。
「まだ動くな」
「我が君、娘が……大切な我が子が」
訴える蛇の頭を引き寄せ、膝の上に乗せた。ゆっくり撫でる。瞬くことがない蛇の瞳がぽろりと涙を零した。痛々しい姿に手を触れたことで、今度は外側へ癒しの魔力を注ぐ。
「落ち着け。そなたの娘はベルゼビュートが癒した。アスタロトが犯人を捕らえて粛清する。親であるなら子のために生きることを考えよ」
撫でながら言い聞かせ、蛇の美しかった鱗を思い浮かべる。爬虫類特有の柔らかな皮と虹色に陽光を弾く鱗、銀の瞳が魔王と同じだと嬉しそうに語る穏やかな性質――どこまでも優しく慈悲深いユルルングルの姿を魔法に投影した。
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