503. 翡翠の龍は嘆きを奏でる

 アムドゥスキアスが魔王史に名を刻んだのは、1万年ほど前だった。当時、ルキフェルを含めた数人の大公候補が魔王城に集められたが……その筆頭がアムドゥスキアス。翡翠色の鱗を持つ古代竜の一種で、つがいと共に魔王城に留まった。


 吸血種が1人、神龍族から1人、魔獣1匹、上級妖精族1人……ドラゴン種のアムドゥスキアスとルキフェルを入れると6人の候補がいたことになる。実力はそれぞれに秀でているが、これという決め手に欠ける状況だった。そのため、しばらく一か所に集めて人格を見て判断することにした。


 当時の判断は間違っていなかっただろう。しかし予想外の事態というのは、突然やってくるものだ。翡翠竜の番となった妻は、人族だった。正確には獣人と人族のハーフで人族の母の手元で育てられたため、常識や考え方は人族にかたよっていた。


 そんな彼女がトラブルを起こす。彼女にとって、番とは夫ではなかった。恋人感覚であり、別の人が気に入れば乗り換えることに抵抗はない。候補者の一人であった吸血種の青年と恋仲になり、アムドゥスキアスに別れを切り出した。


 ドラゴン種にとって番は唯一の存在であり、浮気など考えたこともない。寝取られた事実は認めがたいし、番である妻の心変わりも信じられなかった。ましてや相手は美貌で餌を魅了する吸血種族だ。たぶらかされたと結論付ける材料は揃っていた。


 激怒したアムドゥスキアスが暴れたことで、大公候補の選定は中断。魔王城の一部が破損し、止めに入ったルシファーにまで攻撃する始末だった。騒動の最中さなか、彼の番は巻き込まれ失われた。


 思い起こせば、彼の番が人族育ちだったことが不幸の原因だ。獣人とのハーフであったこともあり、性に奔放だった女性に振り回されたドラゴンは、最愛の番に浮気された上でうしない、大公候補からも外された。誰も得をしなかった騒動を思い出したアスタロトは溜め息をつく。


 ちなみに吸血種の青年は、暴れたアムドゥスキアスに裂かれてブレスで灰になった。恋人を殺されたと憤慨ふんがいする番のののしりに激高げきこうし、魔王城を破壊したのだ。すでに感情が制御できなかった彼を責める気はないが、後始末が大変だったのは……アスタロトの記憶に残っている。


 巻き込まれた魔獣も死亡、番である妻は崩れた瓦礫に圧し潰されて死亡。魔王城全体の1/4が破壊された上、城で働くコボルト達にも被害がおよんだ。やりすぎだと怒った魔王に叩きのめされた翡翠のドラゴンは失意を抱えて眠りにつき、ようやく事態が鎮静化したのだ。


 彼が眠りから覚めたと聞いて心配したのは、魔王への攻撃ただ1点だった。リリス嬢を連れた状態でアムドゥスキアスが攻撃すれば、今度こそ彼は殺されてしまう。それゆえの「無事でしょうか」のセリフだった。万に一つも、魔王ルシファーが害される心配は要らない。


「リリス嬢の魔力弾が原因でしょうか」


 かつてのアムドゥスキアスは、やんちゃな子供のようなところがあった。今は落ち着いた大人の青年の雰囲気を漂わせている。ヤンと競うように唐揚げを食べたミニチュアドラゴンは「けぷっ」とゲップがでて、慌てて口を押えた。


 ずっと首を掴んでいるわけにもいかず、小型犬サイズのヤンの隣に下す。まだ皿に残っていた唐揚げを掴んで口元に運ぶ翡翠竜は、幸せそうに尻尾を左右に振った。


「何しろ1万年弱寝ていたわけだから、気持ちが落ち着いたのかも知れない」


 リリスが原因と考えたくないルシファーの否定に、アスタロトはにっこりと笑顔で向き合った。


「今までのあれこれを考えると、リリス嬢が何かと考えるのが一般的です。それより視察は終わりましたか?」


「……休憩中だ」


「なるほど。休憩なので城から取り寄せた材料で、リリス嬢が落としたコカトリスを食していた――と」


 コカトリスの捕獲がリリスだとバレた。いやバレても問題はないが、魔力の痕跡を辿ったのだろう。こういう細かな作業は彼のお得意だ。


「……何か揉めています? 私が原因なら申し訳ないです」


 番の喪失でおかしくなったのだろうか? かつての彼なら「俺が原因の喧嘩ならまぜろ」と飛び込んでくるガキ大将のような性格だった。礼儀正しく大人しい、まさに違和感しかない変化だ。


「いえ、仕事をさぼろうとする陛下を叱っていただけですから」


 アスタロトが丁寧に返すと、アムドゥスキアスは尻尾を引き寄せて掴み、もじもじと小さな手で弄りだした。何か言いたそうに顔を上げ、すぐにまた口を噤む。


「……そちらの黒髪の姫様、陛下のお嬢様でしょう? 私のお嫁さんに」


 なって欲しい。そう告げるはずだったアムドゥスキアスは、周囲を満たす強烈な魔力に喉を強張らせる。続いて鱗を掠めて落ちた雷が、びりりと空気を焼いた。


「今、何と言った?」


 まさに魔王降臨の瞬間だった。

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