340. 疲れた少女は眠りに落ちる

 リリスの黒髪を丁寧に洗ったあと、背中を流してもらった魔王ルシファーは湯船でお姫様を膝に乗せていた。わずか数年で成長していくリリスを見守るのが楽しい反面、このままでは一緒にいられる時間が短いのではないかと不安に駆られる。


 寿命問題はルキフェルが真剣に研究中なので任せるとして、今後の予定を組み立てていく。レライエが見つけた、キマイラの生産地と思われる北の小川は調べる必要があった。目撃情報が魔の森の北部に集中したのも、もしかしたら誘導された可能性がある。


 この辺の調査は魔王軍の管轄になるので、ベールが動いただろう。少女達から明日話を聞くのはアスタロトが担当する。ベルゼビュートが暇そうだから、北の小川のほとりに住む小屋へ向かわせるとして……。


「……することがないな」


「パパは明日暇なの?」


「うーん、毎日の書類だけだぞ」


 敵が見つかればルシファーが動くが、特に来客予定もないし、明日の予定は空白に近かった。簡易的な竹の髪留めで黒髪をアップにしたリリスは、背中から抱っこするルシファーを振り返る。


「明日は皆がアシュタに呼ばれてるから、リリスは時間が余るの。ヤンを連れて湖に行きたいわ! パパも一緒に行きましょうよ」


 考えるまでもなく、可愛い愛娘からのお誘いである。ルシファーに断る選択肢はなかった。にっこり笑って同意する。


「お昼頃にでるか?」


「もう少し早く行きたいわ。久しぶりにヤンの上に乗っていくのよ」


 どうやら彼女の中で、ヤンは乗り物分類らしい。くすくす笑いながら「構わない」と許可を与えた。ヤンの毛皮に包んで育てたせいか、リリスはヤンを家族のように接する。獣人でもない獣姿しか見せない灰色魔狼フェンリルとの交流は、他種族認識にかなり影響を与えていた。


 半透明の妖精でも、鱗を持つリザードマンや植物の形をしたアルラウネに対しても、リリスは同じように声をかけて手を伸ばす。獣耳や角、蛇の尻尾があっても、彼女にとって魔族は同じ分類だった。


 だから興味を持って問うことはあっても、差別や区別の対象にならない。角、鱗、蛇尾など女性が悲鳴を上げる特徴を、リリスは『個性』の一言で片づけてきた。


「ピヨとアラエルはどうする?」


「門番のお仕事があるから置いていくけど、もしピヨが来たら大変ね」


 ピヨが母親代わりのヤンについて来たら、アラエルは仕事を放り出して番を追うだろう。ピヨが城門に残ってくれたらいいのだが。そんなことを考えながら、真っ赤になったリリスの項に唇を寄せる。ちゅっと音を立ててキスして、のぼせかけた少女を抱き上げた。


「これ以上入ってると、茹だってしまうな」


 魔法で乾かしてから、子供の頃と同じようにふかふかのタオルで包んだ。数枚の薔薇の花びらがリリスの肌に貼りついている。薄い寝間着を着せて、湯冷めしないようガウンを羽織らせた。


「さあ、お姫様。お肌の手入れをしておいで」


 ここから先は待ちかねていたアデーレの役目だ。ドワーフが作った薔薇の彫刻が美しい鏡台の前に座らせた。侍女長になってからもリリスの専属であるアデーレは、エルフ特製のオイルを使った木製の櫛で黒髪を梳いていく。手慣れた彼女の乳白色の柔らかな手のひらが、顔や首筋から手足に至るまで保湿用のハーブ水を塗りこんだ。


「リリス様?」


 鏡台の前に座ったままのリリスに声をかけ、眠っている少女に微笑みかける。少し離れたベッドの上で髪を乾かしていたルシファーに目配せすると、立ち上がった魔王の腕に少女を譲った。そのまま物音を立てずに部屋を辞す。


「さすがに今夜は疲れたな。おやすみ、リリス」


 ベッドに横たえ、シルクの上掛けを被せる。ひんやりする肌触りに身を竦めたリリスを抱き寄せながら、ルシファーは隣に滑り込んだ。


 今夜はいろいろあった。リリスにとって特別な一日だったに違いない。彼女の活躍を思い浮かべながら、提案された明日の予定に頬を緩めた。


 腕枕された少女が胸元で純白の髪を握って引き寄せる。幼い頃から変わらぬ仕草が愛しくて、ルシファーは見守りながら夜を明かした。

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