182. 皆で食べると足りないの

 バタン! 大きな音を立てて魔法によって開かれたドアに、全員がびくりと肩を揺らした。何事かと慌てるハイエルフが振り返った先に、大きな狼がいる。大型の牛サイズのフェンリルに跨るリリスが「パパ~!」と無邪気に手を振った。


 促されるままヤンが歩いてくる。後ろを青い鶏ピヨが追いかけた。以前よりサイズが大きくなったので、かなり歩きやすいようだ。遅れることなくついてきたピヨは止まらずに魔王へ突進し、アスタロトに摘まれ捕獲される。


 次にヤンの上から滑り降りたリリスが走り出した。さすがにリリスを止めるわけにいかず、アスタロトもベールも苦笑いで見逃す。玉座に座るルシファーの足に、ぼふんと抱き着いた。お気に入りのポシェットを斜め掛けした幼女は、にこにこと笑顔を振りまく。


「どうした? お勉強の時間だろう」


 最初は最低限の礼儀作法を教えるため、貴族の奥方や令嬢が教師としてリリスにつけられる。その役割を貴族令嬢であり侍女としてリリスと面識があるアデーレに頼んだのだ。


「うん、終わったからパパとお茶するの」


「そうか。だがまだお仕事がある。少し待てるか?」


「わかった」


 リリスが素直に頷いて、ルシファーの膝によじ登る。仕事中だから突き放すような物言いをするが、ハイエルフはリリスに好意的なこともあり、苦笑いして抱き上げた。


 膝の上に座らせると満足そうに笑う。二つに分けて結んだ黒髪を撫でてから、ルシファーは眉をひそめた。いろいろ対策を考えても、結論は決まっているのだ。


 騒動を起こして他種族の権利を侵害した人族に、相応の罰を与えなければならない。彼らは自分達が独立した種族であり、魔族を侵略対象と考えているようだ。しかし魔王にとって、すべての種族は自らの管理下にある。そこには人族も含まれていた。そもそも領土を与えたのは、魔王自身なのだから。


 自治権を認めているが、他種族への侵略は許されない暴挙だった。


「しかたない。オレ……余が出向く」


 いつもの気安い口調が出かけて、アスタロトに睨まれて言葉遣いを直した。種族間の騒動は基本的に魔王預かりであり、彼が側近達と出した結論に従って処理される。人族が絡む事案に魔王が直接出向くのは、勇者という特殊な存在が関係していた。


 単にアスタロトやベールなどの大公に任せると、必要以上に人族に厳しくなる前例もある。魔族より脆く弱い種族だから手加減が難しいと言い訳しながら、彼らが人族の都をいくつか滅ぼしたのは数百年前だったか。


「陛下が出向かれるのですか?」


「今日の予定はどうなっている」


「書類決裁を明日に回しても、謁見予定が立て込んでおります」


 予定表を確認したベールの答えに、ルシファーの眉がひそめられた。


「変更は?」


「難しいですね。緊急性が高い陳情もありますので」


 話に興味がないリリスは、肩からかけたポシェットの中から小瓶を取り出した。以前にルシファーからもらった飴が入った大きな瓶は持ち歩きに適さないので、いくつか飴を移した小さめの瓶を用意したのだ。手の小さな子供にも開けやすいよう、捻るタイプの蓋だった。


 音を立てずに蓋を開けると、6個ほど入った飴を眺める。それから人数を数え始めた。パパ、自分、アシュタ、ベルちゃん、ヤン、ピヨ、オレリアと2人……足りない。


 飴を見てもう一度数えて、哀しそうな顔をした。


「リリス?」


 顔を上げたり下げたりしている娘の様子に気付いたルシファーが名を呼ぶと、リリスは小さな声で事情を説明する。


「あのね、飴たりないの。皆で食べると足りないの」


 小さな瓶を持ち上げて見せるので、ルシファーはふっと表情を和らげた。ここで1人で飴を食べても誰も文句を言わないのに、全員に分けようと考える彼女の優しさが好ましい。なにより困惑したリリスの顔も可愛い。


「そうか、パパは我慢できるぞ」


「やだ。みんなで食べないと美味しくないもん」


 我慢はダメだと唇を尖らせるリリスに微笑んで、オレリアが口を開いた。


「我々はもう下がりますゆえ、リリス姫様は残った皆様とお食べください」


「それもやだ」


 頬を膨らませて首を横に振るリリスは、助けを求めるように後ろのルシファーを見上げた。

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