912. ダメだと言われると……

 ダメだと言われると、余計にやりたくなるものだ。そう教えてくれたのはリリス自身だった。危ないよと注意した側から手を突っ込み、熱いからと避けた物で火傷する。子供とはそういう生き物だと理解するのに少し時間はかかったが、苦労して育てたルシファーはリリスに関する知識は一番だと誇っていた。


 好きに遊ばせる。そのうえで、彼女の我が侭を笑顔で受け止め続ける。ルシファーにとって苦行でも何でもない、ごく普通の日常だった。その先にささやかな罠を仕掛けたとしても、リリスは気づかない。


「濡れちゃったわ」


「乾かしてあげよう、ほら」


 魔法陣で温風をかけて濡れた裾を乾かし、湿気で少しうねった黒髪を直してやる。それから普段と同じように膝の上に乗せた。大量の獲物を献上されたので、ドラゴン達に合図を送る。巨大な手足で力仕事を担当する彼らが、かまどをいくつも作った。


 少し離れた場所に転がっていた岩を運び、力技で積み上げて固定する。危険がないよう、固定には魔法陣を使うことにした。崩れると子供やドラゴン以外の種族が大ケガをする可能性がある。だが運ぶときに手を貸さないのは、彼らの見せ場を作るためだ。力自慢のドラゴンは魔王城再建の際も手を貸してくれた。


 大きな岩を運ぶのは慣れているし、連携も取れている。指揮を執るエドモンドがいなくとも、ドラゴン達はきっちり仕事をこなした。褒美に一番大きな肉の塊を渡すと、すぐに串刺しにして丸焼きを始める。


 火を起こして遠火で焼くのではなく、ブレスで一気に火を通す。表面だけ焦がす炎より、魔力がこもったブレスは内部まで熱が到達しやすい特性があった。それを利用して肉を焼く彼らに、リリスが大喜びで手を叩く。はしゃいでご機嫌のリリスの前に、コカトリスが運ばれた。


「どうぞ。魔王妃殿下に献上させていただきますわ」


 レライエの親族だというオレンジの鱗のドラゴンが、焼けた肉を爪の先で運搬してきた。収納から取り出した大きな皿に受け取り、ルシファーが礼を言う。続いてリリスもきちんとお礼と笑顔を向けた。野営に慣れたイポスが切り分けた肉を、最初にルシファーが口をつける。


 毒殺がもっとも縁遠い魔王が試食することで、ようやく他の場所でも食事が始まった。切り分けた肉をルシファーのフォークから食べるリリスが笑うたび、周囲の魔族も盛り上がる。ピクニックを兼ねた焼肉は大好評で終わり、目一杯遊んで疲れたリリスはうとうとと昼寝を始めた。


 いつもなら寝かせておくルシファーだが、今日は様子が違う。リリスを抱き上げて水面に降り立つと、泳いでいるドラゴンの背に飛び乗った。目が覚めてしまい、興奮したリリスは再びはしゃいで声を立てる。まだまだ子供の魔王妃を見る周囲の目は温かく、イポスはようやく気付いた。


 そういう作戦ですか。


 問いただして叱るのはいつでも出来る。今夜のリリスに必要なのは、長い睡眠時間だった。目の下にうっすらと隈を作る美少女を休ませるのが先決だ。だが昼寝をしてしまえば、また夜中に目が覚めて練習を始めるだろう。


 夜型になった身体のリズムを元に戻し、まずは健康を確保する。注意はその後でも構わないというルシファーの愛情深さに、イポスは苦笑いした。


「それは恋人というより、親の愛情です」


 呟いて自分の口を手で押さえる。そういえば、事実上の育ての親でもあったわけで……。欠伸を噛み殺しつつ遊ぶリリスを見守りながら、イポスは明日以降の予定を頭の中に思い浮かべた。大きな街から回る予定で、その後は辺境地を中心に視察が入っている。


 この街は今日で終わりだが、明日から大公も同行すると聞いた。湖の上を渡る冷えた風が金髪を揺らし、イポスは指先で髪を押さえた。視線の先で遊ぶリリスは、今夜は抜け出すことが出来ない。ぐっすり朝まで眠った後、明日から投げナイフの練習を再開するだろう。


 自分が役立てるのはその時だ。事前の打ち合わせも必要だと、近くで欠伸を隠すシトリーを手招きし、ひそひそと作戦を打ち合わせた。互いに頷きあって離れ、シトリーはルーシアやレライエに作戦を共有する。


 さて、明日の夜――うまく行けばいいけれど。

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