749. 少女が見た悪夢

 レライエが外の作業を終えて下がったのは、陽が明るく照らし出す時間だった。一晩中、地脈と魔法陣を繋ぐ作業をしていたため、明るい太陽が目に染みて痛い。


「疲れた」


 溜め息をついたものの、大急ぎで上階へ続く階段を上った。ルキフェルに「君は入れるようにしたから」と簡単そうに言われた時は何の話かと首を傾げたが、魔王城内を移動中に意味に気づいた。


 階段の途中で、膜を通過するような不思議な感覚があった。ルシファーがルキフェルに保護を頼んだリリスや少女たちを守る結界だ。隔離用の結界は、登録した者の魔力を認識して通過させる。人間の指紋と同じで、魔力の波紋やパターンが完全一致する魔族はおらず、人物判定に用いられる方法だった。


 途中ですれ違った侍従ベリアルによれば、同僚は主人である魔王妃と共に客間の一室を使っているらしい。抱っこした翡翠竜を落とさないよう気をつけながら、レライエは階段を上がりきった。


 小さな寝息を立てるアムドゥスキアスは、魔力の使いすぎによる疲労により婚約者の腕で回収された。子供達を助けていたレライエの近くで、魔力量が多い種族の救護に当たっていたのだ。地脈と繋ぐには、ある程度の魔力が必要だった。使用する魔力量は、繋ぐ相手によって変動する。


 子供達は魔力量が少ないから、地脈を繋ぐのに使用する魔力も少ない。しかしエルフやドライアドなど、魔力量が多い種族を相手にしたアムドゥスキアスはかなり消耗してしまった。繋いでしまえば魔法陣で制御できるが、繋ぐために使う魔力は補充されない。最終的に頑張りすぎてダウンした翡翠竜に、ルキフェルは肩を竦めて休憩の命令を下した。


 大公の命令にレライエも含まれるため、リリスや同僚と合流しようと考える。夜明け頃にカルンを海水につけた同僚達は、この部屋にいるはずだった。ベリアルに聞いた部屋のドアをノックする。


「はい」


「レライエですが……」


 入室していいか? 尋ねる前にドアが開き、笑顔のシトリーが右手の人差し指を立てて口元に当てた。己の口元に当てる仕草を真似して、レライエも意味に気づく。


 音を立てないように、という合図だ。頷いて、ずり落ちかけた翡翠竜を抱き直す。もにもにと口元が動いて、「らぃ」と小さく名を呼ばれた。擽ったい気持ちで頬を緩めたレライエが入室すると、天蓋があるベッドにリリスが寝ている。


 起こさないため「静かに」と示されたことに納得し、ふかふかの絨毯を踏み締めてソファへ向かう。3人掛けの長椅子に座るルーサルカは、カルンを膝枕していた。彼に海水を浴びさせる目的は達成したらしい。


 そっと1人用のソファに座ると、向かいに座るルーシアがひとつ欠伸をした。釣られたレライエも欠伸を手で押さえる。結界が張られた部屋の中は、しんと静まり返っていた。外の喧騒が嘘のようだ。


 ここにいれば安全、そんな気がした。膝の上のアムドゥスキアスが「はふぅ」と奇妙な声を立てて寝返りを打つ。眠くなるのを堪えるレライエだが、気づけば居眠りしていた。


 夜通し魔力を使い続けた身体は、睡眠と休憩を欲している。うとうとと頭が揺れて、慌てて顔を上げた。見れば、お茶を淹れたルーシアはカップに注いだ後、ソファに崩れるように抱きついて寝ている。危険なので、ポットだけ手元から遠ざけた。


 リリスが眠るベッド脇の椅子に腰かけたシトリーも、こっくりと舟を漕ぐ。ルーサルカは俯いていたので気付くのが遅れたが、とっくに眠りのかいなに身を任せていた。


 この場で寝ても許されるのでは? いや、こんな状況だからこそ、1人くらいは起きていなければ。


 葛藤するレライエは浅い眠りの中で嫌な夢を見て飛び起きた。膝から転げ落ちた翡翠竜が、打ち付けた尻を撫でながら目元を擦る。


「どうしたの、ライ」


「なっ、なんでも……ない」


 どきどきと高鳴る心臓を両手で押さえながら、首を横に振る。額にかいた冷たい汗を乱暴に拭い、自分に言い聞かせた。


「大丈夫、あれは夢だ」


 不吉で、嫌な、絶対に起きてはならない光景だが、夢だから。

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