748. キーワードは海水?
ベルゼビュートの爪が示したのは、大きな湖だった。彼女の領地では一番大きな湖だが、外から水が流れ込むルートがない。川も繋がっていないし、どこかへ流れる道もなかった。
「この湖に跳ねる魚が出ますの」
跳ねる魚と言われて、全員が顔を見合わせた。長寿な方である神龍の長老モレクも聞いたことがない表現だ。ルシファーも話で聞いたが、まったく信じていなかった。そのくらい胡散臭い表現なのだ。魚は鱗があり水の中を進む生き物だった。空を飛ぶ鱗のある種族なら、ドラゴンや神龍を含めた竜種だろう。
「ドラゴン系か?」
「いえ。本当に魚なのですけれど、羽がついてますわ」
全員が無言になる。想像がつかないので、魚の話は後回しにした。というより、魚と海が流れ込む湖の関連性がわからなかったのだ。ベルゼビュートは地図に手を伸ばし、湖の周囲を歪な形で囲った。
「これが魔力の消失した森の状況です。湖の周辺ばかりでしょう?」
彼女の指摘に頷く。楕円形に近い湖のまわりを凸凹に覆う円を、食い入るように見つめた。この円の先端から測っても数キロ単位で海に触れることはない。
「なぜ海水が流れ込んでいると判断できる?」
「海水と真水が混じる……汽水でしたっけ? 他の湖にいない魚や生き物がおりますし、水の味も塩気がありますわ。以前に不思議に思った水の精霊が湖の底にある穴から遡ったのですけれど、数時間かけてたどり着いた先が海でしたわ」
水の精霊の中には、水中で呼吸できる者も多い。湖の底にある穴からわずかずつ海水が流れ込むのなら、元は何らかの洞窟や地下水路だった可能性が高かった。
「この場所は元から湖だったのですかな?」
モレクが疑問を口にする。地図に新たに書き込まれる情報を見つめながら、老人は己の持つ知恵を絞って答えを導きだそうとしていた。ルシファーも考え込み、ベールが眉をひそめて首をかしげる。
「そのあたりは平野か沼地だった気がします」
古い記憶をたどるベールの指摘に、ベルゼビュートが思い出したように手を叩いた。
「そうよ! 領地にした頃は平野でしたわ。この湖は火山周辺の山から雨が流れてきますの。6万年ほど前かしら。気づいたら水没して湖が出来てました」
モレクが複雑そうな顔で息をつく。数万年単位で話をする目の前の大公や魔王が、8万年前から生きていた事実を今さながらに実感した。普段は気にしないが、彼らはこの世界の初期から、歴史をずっと体験した生き字引なのだ。
「領地なのですから、きちんと管理してください」
「湖を報告したから地図に反映されてるじゃない」
「あの湖はあなたの報告ではなく、魔王軍の巡回で発見されたのですよ」
言い返したベルゼビュートを言葉で叩きのめし、ベールが口元に手を当てて記憶を探る。汽水湖と言われて何かが気になった。地下で海水とつながる雨水の流れ込む湖……どこかで同じような話を聞かなかっただろうか。
「……陛下。我が城の地下に霊亀がいるのはご存じですか? 彼の下に汽水湖があります」
ばっと顔を上げたルシファーが「そうだ、あの下に湖があった!」と呟き、地図の一点を示した。そこはベールの城がある場所であり、隣の大陸の真ん中より手前だ。その場所に印をつける。調査のため、急いで数人の貴族を転移させた。
彼らが情報を持ち帰れば、仮説の基礎になる資料が増える。モレクが調査に名乗りを上げた。彼と入れ替わりになる形で、休憩に入ったエドモンドが戻ってくる。全員に共有される地図の情報に目を通したエドモンドは、海水というキーワードに首を傾げた。
「海水がカギなのか?」
「海水が魔力を奪っているのでしょうか」
「過去にそんな事例はないですが……」
ルシファー、エドモンド、ベールがそれぞれに見解を口にした。
魔の森の魔力消失は現在食い止められていた。魔王と地脈の魔力を常に奪いながら、魔の森は平静を保つ。意思の疎通ができない存在を守ることの難しさに、ルシファーは空を見上げて溜め息をついた。
……リリスの元へ戻れるのはもう少し先になりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます