925. 昼寝を邪魔された竜王の怒り深く

 ヤンが何かを踏んで動けなくなっていた。後ろ足に金属製の罠が刺さり、真っ赤な血が滴る。魔法に対する耐性が低いヤンの毛皮から焦げた臭いがした。イポスは剣を構えたものの、ヤンの後ろに隠れる人族への攻撃を躊躇う。飛んできた矢を弾き、投げつけられる石を避ける程度の抵抗しかしない。


 人質に取られた状態のヤンを気遣い、動けないイポスは膠着状態だった。


「ヤンっ! なんて酷いこと……」


 リリスは悲鳴を上げて駆け寄ろうとし、大公女達に抱き留められる。しっかり拘束した彼女らに頷き、ルシファーが一歩進み出た。森の中にいた数人が姿を見せる。後ずさるヤンの足に食い込んだ罠へ繋がる、鉄鎖を掴んだ男は魔術師だった。


 びりっと雷に近い炎の魔法を使われ、傷口から白煙が立ち上る。温度を上げて傷口を焼いたのだ。悲鳴をあげまいと堪えるフェンリルの、威嚇音が周囲に響いた。


「我が民に手を出すなら……」


 粉々に刻んでくれる。そう告げる前に、ルシファーの少し先に魔法陣が現れた。


「僕がやる」


 さっさと食べ終えて、空中で昼寝していたルキフェルが呟く。魔王の斜め前に立つ青年は、不機嫌そうに水色の髪をかき上げた。短くカットした髪の間から角が現れる。普段は見せない角と翼を出したルキフェルの魔力が、ゆらりと陽炎のように立ち上った。


「僕の昼寝を邪魔した償いをしてもらうよ。ヤンを離して」


「う、うるさい! この狼は……村を襲った灰色の奴だ」


「個体が違うけどね。人族風情に区別はつかないか」


 見下す口調と態度で応じたルキフェルの言葉に、鎖を持つ魔術師以外から氷が飛んでくる。矢の形すら取れない細い塊を、ルキフェルは右手をあげて溶かした。何もしなくても防げるが、力の差を見せつけるための演出だ。思わず後ずさったのは、氷を飛ばした男だった。


「この程度? それでフェンリルに傷を負わせたの? 嘘でしょう、ヤンも油断しすぎ」


「申し訳ございませぬ」


 しょんぼりした様子で謝るヤンは、さほど傷が深くないのだろう。痛みによる震えや途切れがない声に、リリスはほっとして肩から力を抜いた。


 振り上げた右手を下ろせば、あの場にいる人族は雷に打たれただろう。敵はまだしも、剣を持つイポスや、囚われのヤンを巻き込んだら事件である。危険防止のため、ルーサルカがずっと手を掴んでいた。


「もう平気」


「はい」


 手を下ろしたリリスをぐるりと囲む形で守る大公女達は、それぞれに手のひらや足元に魔法陣を呼び出している。いつでも攻撃に転じられ、守りの結界を発動できる。万全の態勢で待機する彼女らの外側に、ルシファーが追加の魔法陣を放った。


 ルキフェルは昼寝を邪魔されるとキレる。過去にうっかり起こしてしまい、ようやく寝かしつけたばかりだったベールに追われながら、ルキフェルの攻撃を避けまくった記憶が過った。ルシファーはぶるりと身震いして、気の毒そうに人族の集団を見やる。無事に帰れる奴はいないだろう。


「こうなったら総力戦だ!」


 叫んだ人族の後ろから、魔術師やら剣士が数十人飛び出してきた。今回は勇者を自称する奴はいないらしい。数人はボロボロの状態なので、境界付近を守るフェンリルや魔狼にやられたのだろう。そのため狼のヤンに攻撃し、罠を仕掛けたと思われた。


「うるさいよ、僕が通すわけないでしょ」


 眉を寄せたルキフェルが魔力による波紋を作り出す。その魔力の波に乗せた魔法陣が、美しい模様を大地に描いた。


 大地に足を下ろしたルキフェルを中心に、防衛と自動攻撃の魔法陣が複数展開する。数えきれない魔法陣は、さりげなくイポスに結界を与えて領域内に取り込んだ。


 保護されたイポスが、剣を握り直す。タイミングをはかって、囚われたフェンリルを助けなくてはならない。


「我は問題ない。攻撃せよ、イポス! 陛下の護衛であろう」

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