795. わからないなら結構です
それから数時間後、日差しがすっかり高くなった頃にひとつのヒントが齎された。というのも、散歩がてら森の様子を見に行った翡翠竜が、とんでもない勢いで戻ってきたのだ。中庭でそわそわしていたレライエを見つけて飛びつき、人目も憚らず泣いたという。
ヤンをベッド代わりに私室として接収した客間で寛ぐルシファーは、少し考えて眉をひそめた。情報を持ち込んだアスタロトが指摘する。
「レライエ嬢とアムドゥスキアスが不安を感じなかったのは、一緒にいた為でしょうか」
「おそらく、そうだろう。眠っていたリリスや隣の部屋にいたルキフェルは影響を受けた。だが近くに必要な存在を認識して、起きていた我々は影響下になかったのだろう」
そこまで推測を立てたルシファーが、ひょいっと顔を上げた。じっと側近の顔を見て、部屋の中をぐるりと確認する。
「なあ、お前の大切な奴って誰だ? アデーレじゃないのか」
あの時、部屋にアデーレはいなかった。そういえば、ベールもあまり揺らがなかったようだ。
きょとんとした顔で見つめる主君に、アスタロトは身体中の息を吐き出す勢いで溜め息をつく。鈍感にも程があると額を押さえる。大切な存在というなら、自分の命以上に優先する
「わからないなら結構です」
「……ベールとアスタロトはもしかして」
「その吐き気のする想像をやめないと、首を落としますよ?」
ふふふ……本気で吸い殺してあげましょうか。怒りに満ちたアスタロトの赤い瞳に射抜かれて、ルシファーはぎこちなく視線を逸らした。本気で殺されそうな気がする。冗談は場と相手を選ばないと、命取りだった。
「す、すまん。タチの悪い冗談だった」
「そういうことにして差し上げます」
無言でこくこくと頷いたところで、ベルゼビュートも平気だったことを思い出した。
「ベルゼは嫁に行けそうにないな」
「そういえば、けろりとしていましたね」
話を逸らす意図に気づきながらも、アスタロトは素直に話に同調した。あまり追い詰めると逆襲されかねない。すやすや眠るリリスの黒髪を撫でながら、ヤンの毛皮で包まれるルシファーがもう1人反応しなかった人物を口にした。
「アンナ嬢はなぜ平気だったのか。イザヤは慌てて駆け寄ったと聞くが」
恋人同士のはずだ。兄弟であり、この世界で3人しかいない日本人なのに、彼女は不安に同調しなかった。気づいた違和感が、まとわりつく気持ち悪さを残す。
魔の森が生んでいない種族だが、イザヤは影響された。あの場にいなかったアベルの反応はわからないが、調べる価値はありそうだ。飛び起きようとして、リリスが掴んだ髪に気付いて動きを止める。
「私がルキフェルに伝えてきます」
ソファで書類を読み込んでいたアスタロトが立ち上がり、物音もなく部屋を出て行った。しまった扉を見つめながら、何かを見落とした気がして首をかしげる。しかし思いつけないまま、ヤンの毛皮に身を預けた。
ふと、動きを止めて後ろのヤンを振り返る。背中側の大きな窓から差し込む日差しが心地よいのか、彼は大きな目を閉じて眠っていた。
「そういえば、ピヨはヤンを求めたが……ヤンは何も求めていなかった。どうしてだ?」
アンナやベールに感じた違和感が、再びルシファーの頭を満たす。何か法則があるはずだ。それさえ分かれば、解決への糸口が掴める気がした。
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