1037. 飢えた群れはおかしい

 ルーサルカはすぐに治療のため離脱させた。本人は嫌がったが、アスタロトとアベルに説得され、ゲーテの腕にアミーを返して治療に向かう。


「傷が残ったら一大事です」


「そうだよ! ルカが痛いのは嫌だ、早く治そう」


 城に来ていたハイエルフのオレリアが、治療を担当することになった。少し離れた場所で治癒の魔法を使う彼女達に聞こえないよう、アベルもゲーテも声をひそめる。


「狒々って、あんなヤバいのか?」


「いや。俺が知る狒々はもっと大人しい」


 情報交換にアスタロトが唸った。魔獣ですらない、ただの巨大な獣が獣人や人狼に襲いかかるのはおかしい。ルーサルカは半獣人だが、獣がそこまで判断したとは考えにくかった。


 あの大きさならもう数年で魔獣になる。それほどの個体が率いる群れが、見境なく襲う愚を犯すわけがない。ましてや狒々は動物の中で知能は高い部類で、共食いは考えられなかった。


「共食いする種ではありません。調べさせましょう」


 回収した雌や子供が痩せていた。狒々は獅子と違い、まず子供に食事をさせる。雄の個体も今思い出せば痩せて骨が浮いていた。


「森で何か奇妙な現象がなかったか、調べさせないと」


「……襲われたと聞いたぞ。皆、無事か」


 心配したルシファーが顔を出す。珍しくリリスを伴っていないと思えば、彼女はルーサルカやオレリアのところだった。


「飢えた狒々の群れでした」


「この時期に、狒々が餌探しを?」


 ルシファーの指摘に、ゲーテとアスタロトは考えこんだ。アスタロトの領地付近の森に住む狒々は、冬眠しない。魔王城周辺は暖かく、魔熊の中には食い溜めはするが眠らない個体もいた。そんな場所に、飢えた狒々が出没する。


 考えるほど奇妙だった。冬が始まったばかりのこの時期、本来なら実りの秋に蓄えた脂肪で太っているのが正しい。まだ体内の脂肪を消費し尽くす春まで遠いのだ。雑食の狒々は木の実や果物も食べる。


「秋の実りの確認を」


「人族にかまけて、確認が疎かだったか」


 アスタロトとルシファーの呟きは、今後起きるであろう騒動への懸念を滲ませていた。南より寒さが厳しく、冬が早く訪れた北の大陸は飢えた獣がもっと多いはずだ。魔族の集落や魔獣の巣が襲われる可能性があった。普段なら強者に近づく動物はいないが、飢えて死の危険に瀕したなら牙を剥く。


「ベール」


 中庭に呼び出した魔王軍の総司令官に指示を出す。野生動物の動向や魔獣へ警戒を呼びかけるよう、手短に事情を説明した。


「承知しました。すぐに取り掛かりましょう」


 足早に城内に向かうのは、ルキフェルを伴うためだ。研究職の彼の知識は不可欠で、観察力に優れたルキフェルの能力も活用するのだろう。引きこもっていられない状況となったことは、ルキフェルにとって吉か凶か。


「ルシファー、治ったわ」


 自分のケガの治療のようにはしゃいで、リリスがルーサルカの手を引っ張る。駆けてくる彼女を、広げた両手で受け止めた。ルシファーの腕に飛び込む少し前、ルーサルカはアベルに抱き寄せられる。


「傷があった場所、見せて」


「も、もう治ったわ」


「うん。確認させて」


 甘い雰囲気を見せる2人の邪魔をするかと思われたアスタロトだが、複雑そうな表情を見せるものの……手は出さなかった。傷があった頬を確認したアベルが、安心した様子で笑う。


「よかった」


「ルカ、私にも確認させてください」


 あのアスタロトが譲った? 驚きすぎて呼吸困難になりそうだ。ルシファーが目を見開いた。


 アベルの腕から奪った義娘の頬に、毛程も傷がないのを確かめてようやく微笑む。戻ってきたオレリアに礼を告げた。ゲーテの腕で丸くなっていたアミーも、安全な場所だと認識したのか。近くを走り始める。


「休日が台無しだ」


 ぼやいたルシファーに、アスタロトが苦笑いして肩を竦めた。

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