707. 守ったのは偉かったな

「カルン、何が怖かったの?」


 檻が消えても抱きしめて動かないルーサルカを見上げ、カルンは言葉を探す。もしかしたら適当な単語が思いつかないのかもしれない。言葉がまだ不自由な子供を気遣い、ルーサルカは違う形で話を引き出すことにした。


「怖かったものを教えてね。後ろにいた人?」


 首を横に振る。ちらりと振り返って、今になって怯えた顔をした。義娘に抵抗を封じられたアスタロトの眼差しは鋭く、もし次に危害を加えたら即時反撃すると眼差しが語る。これは確かに怖いだろう。


 アスタロトが暴走しないよう、リリスと一緒に近づいたルシファーへ、厳しい声が飛んでくる。


「陛下、近づいてはなりません」


「ならば、お前がこっちにこい」


 手招くと拒否された。ルーサルカに危害を加えないか、手が届く位置で見守る気なのだ。普段はスパルタで突き放す癖に、最後は甘いアスタロトの性格を知るから、ルシファーは遠慮しない。隣に並んだルシファーと腕を組むリリスは、まだ震えの止まらないルーシアと手を繋いだ。


「大丈夫よ、怖くないわ。魔王と吸血鬼王の隣で何を心配するの?」


 くすくす笑いながらルーシアの青い髪に頬ずりしたリリスは、自分より少し背の低いルーシアを庇うように立った。すると自分の役目を思い出したルーシアが、慌てて一歩前に出る。何かあれば盾になろうと、気を引き締めたルーシアの震えは止まっていた。


 荒療治だが効果的だ。リリスの行動に、ルシファーの口元が緩んだ。


「私が何かした?」


「ちがぅ」


「なら、さっきの大きな鳴き声かしら?」


「鳥、空……襲う」


 大きな鳴き声の鳥が空を覆い、襲われると思った。そんなニュアンスなのだろう。零れた単語をつなぎ合わせ、ルーサルカは頷いた。通じたことにほっとしたカルンが少しだけ笑う。


「あれはワイバーンという飛竜の一種よ。たまに地上の生き物を襲うけれど、あまり危険はないの。襲われると思って怖かったのね」


 硬い髪を撫でると、嬉しそうに目を細めた。人型の子供というより、ヤンなど魔獣の感情表現に近い。幼い感情とたどたどしい言葉――ある意味純粋なのだ。


「陛下っ!」


「オレを害す強者なら、魔王交代があるだけだろ」


 危険だと声を張り上げた側近を無視し、リリスと組んだ腕をほどいて近づいた。もちろんリリスを含めた後ろに結界を複数枚展開するのは忘れない。あの程度の攻撃なら、通常展開の結界で十分に防げると判断したルシファーは、軽い足取りで近づいた。


 びくりと怯えた仕草を見せる子供の前で片膝をつき、視線を合わせるように屈む。震えるカルンの前へ下から手を伸ばし、触れずに止まった。


「襲われるのも怖いが、ルーサルカを守ったんだろう? 偉かったな」


 周りの空気が怖くて、何か悪いことをしたのかと心配になった。その気持ちが解けていく。誰かに攻撃したのではなく、守っただけ――うまく言葉にできない気持ちを察してくれた純白の魔王に、カルンは大きく頷いた。


「僕っ」


「わかってる。他の人を傷つけるつもりはなかったな。でも次からは気を付けてくれ。誰かを傷つけてしまったら、ルーサルカと一緒にいられなくなる」


 目を見開いたカルンは言われた内容を噛み砕くように口の中で繰り返し、ひとつずつ飲み込むように理解した。


「一緒、いたい」


「そうか。ならば守る方法を学べばいい。誰も傷つけずに守れるなら、誰もカルンを攻撃しない」


 目の前で待つ手に、そっと小さな手が乗った。手の甲を撫でてやり、握手してから離す。表情が柔らかくなったカルンは、上目遣いにアスタロトの様子を窺い、小さな声で「ごめん、さい」と謝罪した。


 ルシファーとのやり取りはもちろん、この態度を見れば疑ったこちらが悪い気がしてくる。


「いえ。被害がありませんでしたから、もう怒っていませんよ」


 穏やかに言い聞かせるアスタロトの隣をすり抜けたルシファーは、リリスを抱き寄せて頬をすり寄せる。そこでやめておけばいいのに、余計な一言を放った。


「オレの時は、許さず追いかけ回したくせに」


「……そうでしたね。あの時は、私の腹に剣を突き立てたのでしたか?」


 驚いた顔で見つめるリリスや少女達に、ルシファーは惚けてみせた。


「ん? その後の話だぞ」


「ああ、ありましたね。私を落雷が直撃した時でしょうか」


 毎回言い訳してきた内容をきっちり返されたルシファーは、分が悪いと踏んで撤退を選んだ。


「かまどが作りかけだった! 急ごう、リリス」


 黒い笑みを浮かべる側近から逃げるべく、魔王は大切なお姫様を連れて転移する。追いかけるつもりはないアスタロトが肩を竦めて、解けた金髪をかき上げた。


「まったく……毎回懲りない人ですね」


 苦笑が滲んだ声は、思いのほか楽しそうだった。

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