299. 破綻した理論の上の正義

 謁見用に作られた大広間は、魔王城と大して変わらぬ作りだった。夜会などを開く手前、どうしても庭や城門から近い位置に作られる。天井を高くして荘厳さを纏い、柱を極力減らして開けた空間を得ようとした努力の跡が見られた。


 建物としては数百年ほどか。ドワーフが技術の粋を結集して建設する魔王城には、堅固さも緻密さも豪華さも届かぬが、国王の権威を損なわぬ程度の体裁は整えられている。


 奥の数段高い位置に置かれた王座に座る白髪の男と、その隣によく似た相貌の中年男がいる。周囲は貴族なのだろう、金銀宝石をちりばめた服を身に纏った者が侍っていた。全員に共通しているのは、肥え太ったオークのような体形だ。


「ふぁふぁ、ぶたしゃん!」


 飴をもらって機嫌のいいリリスが、無邪気に男達を指さした。一応こんな状況で駆除の対象ではあるが、他者を指さす癖はよくないと指を掴んで言い聞かせる。


「リリス、何度も言っているが人を指さしてはいけない」


「ぶたしゃんらもん」


 豚だから人じゃないと反論するリリスに、後ろでイポスが噴出した。慌てて口元を押さえて取り繕おうとするが、抑えきれない笑いが漏れる。ヤンも髭のあたりがぴくぴく揺れるのは、笑いたいのを堪えているのだろう。彼らの腹筋が崩壊する前に、ルシファーは動くことにした。


「国王はか」


 尋ねるというより確認だった。本来は頭の上に飾るべき王冠を、手で背中に隠すようにした男が国王なのは明白だ。己の地位を誇り、潔く散るならまだしも……隠して命永らえようとする姿は、飛び出た腹以上に醜い。


「魔王陛下の問いである。答えよ!」


 持ち直したイポスの一喝に、人族は怯えた様子で王座の上をちらちらと見る。老人は息子に無理やり王冠を手渡そうとして返されたところだった。それでも押し合いしている姿に、貴族が騒ぎ立ててざわめきが広まっていく。


「どれでもよい。すべて滅ぼすのだからな」


 これならばオークの群れの方がよほど理知的だ。呆れが滲む声に、少年の声が反撃した。貴族の中から飛び出した少年は声を張り上げる。


「魔王、なぜ聖女様を殺した!」


「聖女?」


 首をかしげるルシファーに心当たりはない。斜め後ろにいるイポスやヤンも怪訝そうにしていることから、さらに疑問がふくらんだ。さらにこの少年の勇敢さに目を細める。子供ならば気概のある者もいるようだ。


「聖女様は害をなす魔物を倒しておられた。心優しい方だった」


 涙ぐみながら叫んだ少年の言葉に、ルシファーはくつりと笑う。喉を震わせて笑ったあと、美しすぎる顔に残酷な色を浮かべて問い返した。


「その聖女とやらは知らぬが……心優しい女が魔物を殺すのか?」


「討伐だ」


 ただの殺しではない。正義のための、人族の生活を守るための討伐だと言い放つ。一方通行の正義を振りかざす少年の心に、容赦なくルシファーは楔を打ち込んだ。


殺戮者さつりくしゃに優しいも何もあるまい。人族が魔物と蔑み殺した中に、穏やかで人に危害を加えない我が眷属が含まれる。ただ静かに生息するアウラウネやラミアを狩ることが正義か?」


 植物のように生きるアルラウネは森から出ない。ラミアも沼地から出たことはない種族だった。他者を害せず静かに暮らす彼女らを惨殺する権利は、魔族にも人族にもない。理論が破綻しているのだ。


「魔物じゃないか!」


「なるほど……なれば、魔族を守るために余が人族を狩るもまた『正義』だ。そなたのいう正義は人族にしか通用せぬ」


 人族以外を差別して排除対象とするなら、魔族が人族を駆除するのも必然だ。淡々と告げたルシファーがリリスを強く抱きしめた。口の中の飴がだいぶ小さくなったリリスが「パパぁ」と首をかしげる。


「この都の地下で、魔族の幼子を攫って殺す実験を行おうとした人族に『正義』など語る資格はない」


 言い切ったルシファーの翼が広げられる。溢れる膨大な魔力が、人族の上にのしかかった。平伏するように倒れた人族を威圧したまま、ルシファーは傲慢な口調で命じる。


「死して詫びよ」

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