1332. 我が君を信じられぬのですか!

 双子の乗ったベビーカーを咥えたヤンが走り去り、避難は完了した。城門の内側に詰め込まれた民を守るため、大公二人掛かりで結界を強化する。城門の内側は、外敵に対する自動防御装置が設置されていた。今回の裂け目が外敵と判断されるか難しいため、彼らの結界を重ねがけして守るのは安全策だ。


 何かあってから後悔しても遅い。長い治世でそれを実感として知るアスタロトとベールの結界は、タイプの違う物を重ねる形だった。どちらかが破られても、もう片方が食い止めればいい。


「陛下とリリス様がまだ外に」


 ルーサルカの訴えに、アスタロトは振り返って笑った。穏やかな表情で、震える義娘の手を握る。


「安心しなさい。我らが誇る最強の魔王陛下が、あの程度の侵略に負けるはずがありません」


「は、はい。すみません。取り乱してしまいました」


 恥じて謝るルーサルカの頬が赤い。魔族の民が不安になるような発言をした自分への後悔が過ぎった。大公女は魔王妃となるリリス姫に寄り添う存在だ。故に強さや毅然とした態度を求められる。混乱して取り乱したことが恥ずかしかった。同時に、義理の父とはいえ青年姿の美形に手を握られて、照れたのも重なって顔の赤みが引かない。


「……ルカ、俺の時より照れてるよな?」


 納得いかない。婚約者は俺だぞ。そんな不満を滲ませたアベルの呟きは無視された。


「あ、魔王様だぞ!」


 誰かが叫んだことで、一斉に視線がそちらへ集まる。城門の左上の方角だった。白い羽を広げたルシファーは、その腕にリリスを抱き締めた。離れる方が危険だと知っているのだ。本当に危険な現場ならば、絶対に手を離せない。


「リリス、あの裂け目にドカンとぶち込んでやれ」


 促されて頷くリリスの右手が頭上に翳される。すらりと伸びた白い腕をワンピースの袖が滑った。天を指差す彼女が「えいっ!」と愛らしい声で号令を発する。同時に振り下ろされた指先が示す先へ、雷が落ちた。どかんと派手な音を立てて裂け目が揺れる。


 魔力を吸い出す裂け目は危険だ。すぐに塞がなくてはならない。翼2枚の魔力を纏うルシファーを脱力感が襲った。結界で防いでいるが、その結界も魔力によって作られている。触れた場所から吸い出され、徐々に消耗していた。


「トドメだ」


 ばさりと追加の2枚を広げた純白の魔王が、その指先で魔法陣を描く。空中に作り出された小さな魔法陣はくるくる回転しながら大きくなり、裂け目を覆うほど成長した。叩きつけようとしたその時、裂け目から飛んできた何かがルシファーの頬を掠める。ぴっと切れた頬に血が滲んだ。


 数十に重ねた結界を越えてきた攻撃に、ルシファーの目が見開かれた。自分の側が一番安全だと過信した。だから連れてきたリリスだが、結界を通過する方法があるなら地上に残すべきだったか。ひとつ深呼吸してもう一度結界を立て直す。


 大丈夫だ。単に消耗して薄くなっていただけ。弱気になるな。自分に言い聞かせたルシファーは、再びの攻撃に己の身を盾とした。抱き締めていたリリスを庇い、腕を張ってリリスを遠ざける。純白の髪が空に散った。切れた髪に悲鳴が上がる。


「うそっ! 魔王様が!!」


「いやぁ!!」


 叫ぶ民が駆け寄ろうとするのを、ベールが一喝する。


「あなた方は、我が君を信じられぬのですか!」


 主君の勝利を信じて待て。そう命じるに等しい言葉に、半数近い魔族がその場に座り込んだ。胸の前で両手を握り、ルシファーの無事を願う。


 背で受けた攻撃は羽を切り、羽根を散らした。純白の髪や羽根が落ちた大地が揺れる。


「ダメよ。今は動かないで」


 リリスの泣きそうな懇願がルシファーの耳に届いた。それは魔の森に対する願いか、ルシファーへの想いか。

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