1130. 生まれる?!

 アンナ達の様子を見る、という名目でリリスはヤンの背に跨っていた。当然ながら、護衛のイポスと大公女達も一緒だ。森の中で生活するフェンリルは、巨体の割に身のこなしが柔らかい。するすると木々の間を抜けるような気軽さで、人を避けながら歩いていた。


「あ、見えてきたわ。あの家よ」


 転移を使うと城を抜け出たのがバレてしまう。そう考えたところまでは良かったが、実は既にバレている。護衛のイポスやヤンが文句を言わずに同行した時点で、魔王による外出許可が出ていた。


 封じた魔力を戻したので、何か騒動を起こさないように結界で包まれている。リリス自身は普段から結界で守られているため、別段違いを感じなかった。リリスが触れた相手にも結界が影響するため、ヤンが結界内に取り込まれ、その上に跨る5人と1匹も包まれた。


 くれぐれも雷だけは使わせるな。魔王の厳命を受けた翡翠竜は、婚約者の胸に抱かれて幸せそうな顔で溶けていた。この状態で何か起きても、おそらく彼は間に合わないだろう。


「お邪魔します」


 勝手に門を開いて入っていくリリス。慣れたフェンリルの毛皮を滑り降り、アンナ達の屋敷に近づいた。同じように挨拶をしながら入る礼儀正しい大公女と護衛が続き、小型犬サイズになったヤンが尻尾で門を閉める。


「あら、いらっしゃい」


 微笑んだアンナは、レラジェの手を引いて散歩中だった。先日の教訓を自分の育児にも生かすことにした、と笑う彼女は立ち直れたようだ。


「リリ」


 手を伸ばすレラジェの左手をリリスが握ると、右手を繋いだアンナとの間でぶら下がる。子供の遊びだが、愛らしい姿に大公女達が頬を緩めた。誘拐から戻ったばかりだが、レラジェの精神に影響はなかったらしい。聞けばほとんど寝ていて覚えていない。


「レラジェ、この葉っぱを摘みましょう。お茶にするわ」


「うん!」


 僕はできると言いながら、同じ葉っぱを探し始めた。リリスが手を離したことも気づかず、夢中になっている。こうやって子供は行方不明になるのか、妙な感心をしながらイポスは頷いた。幼い自分が父の手を離してしまい、泣きながら探した子供時代を思い出す。


 大量のミントを集めて、お茶のために室内に入った。イザヤが道具を広げて何かを磨いていたが、お茶にするならと片付ける。目を輝かせたのはイポスだった。


「今のは剣ではないか? 細くて見たことがない反りがある」


「刀という。ドワーフに頼んで作ってもらったが」


 少し形が違う。そんな話に夢中になるイポスとイザヤを放置し、大公女とリリスはレラジェと手遊びを始めた。歌に合わせて、互いの手を叩く遊びに幼児は歓声を上げる。微笑ましい光景を見ながら、アンナはお茶の支度をしたポットを手に……振り返りかけて腹部を押さえた。


「っ、痛い」


 がちゃんと音がして、流しの中でポットが割れる。湯気が立ち上るポットから、熱いお湯が流れ出した。火傷をしたのかと近づいたリリスは、慌てて叫んだ。


「大変っ! 生まれちゃうわ」


「え? うそ」


「早くない?!」


「いろいろあったからか?」


 あたふたする大公女を押しのけて、イザヤが駆け寄った。抱き寄せた彼の腕の中で、アンナは痛みに顔を歪める。その手は震えながらも、腹部を大切そうに守っていた。


「う、生まれるの?!」


 イポスが取り乱した声を上げた横をすり抜け、近づいたヤンがくんくんと鼻を引くつかせた。それから心配そうに声をかける。


「あまり良い状態ではないかも知れぬ。誰か治癒のできる者を」


「はい! 私が出来るわ」


「リリス様はお下がりください。私がやります」


「そうですわ。こういったことは経験が物を言うのです」


 ルーサルカとルーシアに止められたリリスが、こてりと首を傾げた。治癒魔法は出来るけど、確かに経験は彼女達の方が多い。危険だからと言われれば、素直に下がるしかなかった。心配と不安で乱れた呼吸を整えるように、ルーサルカは大きく深呼吸した。


「絶対に助けるわ」

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