111. 彼には挨拶が必要だな

  先頭を歩く集団はすでに湖のほとりに到着し始めている。その頃の魔王様ご一行は――なんと迷子になっていた。歩きながら花を摘むリリスについて歩いたため、いつの間にか集団からはぐれ、街道から離れていたのだ。


 魔力を使っても問題ない状況なら、空から見れば解決なのだが……魔力を使えるヤンは空を飛べる種族ではない。ルシファーが使うとアスタロトやメフィストにバレる。魔力制御も知らないリリスを飛ばせるのは論外だった。


「……ヤン、ここはどこだ?」 


「魔の森ですな」


 さすがにそのくらいは分かる。もし魔の森から出ていたら、それは魔族の領地外の可能性が出てくるのだから。眉を寄せて見回した先で、木の根がくいっくいと左側を指し示した。どうやらドライアドによる誘導が生きているらしい。


「左側か」


 歩きつかれたと愚図ぐずるリリスはご機嫌斜めだ。


「パパ、もうやだ」


 可愛い唇がつんと尖り、アヒルのようになっている。苦笑いして目の前にしゃがむと、大喜びで首に手を回してきた。抱き上げて欲しいのだろう。そんなリリスの背中をぽんぽんと叩いて宥めながら、ルシファーはひとつ深呼吸して声をかけた。


「ミュルミュール先生は歩くのが遠足だと言ったぞ。先生がいないからって、リリスはズルするのか? 他の子に恥ずかしいだろう。どうする?」


「……あるく」


 首に回した手が緩む。自分で手を離したリリスを撫でて、もう一度手を繋ぎ直した。歩き出せば、すこし不貞腐れているものの、リリスは素直に歩き出す。


 足が痛かったりケガをしていれば別だが、リリスには我慢や達成感も覚えて欲しい。一生懸命歩いた先で、目標を達成したときの気持ちを味わうのは頑張った者の特権だった。


「我が君、水の匂いがしますぞ」


 後ろで大きな尻尾を振って歩くヤンの声に、リリスの気持ちが上向く。水の匂いがするならば、そろそろ湖が見えてくるだろう。きょろきょろし始めたリリスが前方を指差した。


「パパ、ついた!」


「ああ、本当だ。最初にリリスが見つけたな。凄いぞ」


 褒めて、いつもの癖で抱き上げようとする。伸ばした手を、リリスがぺちんと叩いた。驚いて動きを止めると、リリスは得意げに胸をそらす。


「リリスはお嫁しゃんだから、ちゃんとあるくもん」


 お嫁さんと歩くの間の因果関係がよくわからないが、大人だから頑張れるという意味に受け取ったルシファーが微笑ましい気分で手を差し出した。


「それじゃ、お嫁さん。お手をどうぞ」


 繋ぎ直した手に満足そうなリリスが到着すると、数人の女の子が駆け寄った。さきほど教えられたアリッサも混じっている。親が貴族らしい女の子がひとり、ぎこちない礼を取った。


「まおうへいか、おあいできてこうえいです」


 噛まずに言えた幼女に「挨拶ありがとう。気楽にしてくれ」と民によくかける言葉を向けた。にっこり笑った彼女が、振り返って母親に「じょうずにできた」と手を振っている。視線の先を追うと、鱗がある女性が優雅に一礼する。おそらく水の妖精族だろう。


「いつもリリスと仲良くしてくれてありがとうな。リリス、お友達をパパに紹介してくれ」


 子供達に視線を合わせるために、平気で地面に座り込むルシファーの姿に周囲がざわめく。この保育園に通う子供の半数以上が貴族の子女だ。親が知っているルシファーは、魔王として玉座に君臨する姿だった。ギャップが激しすぎて、理解が追いつかないのかもしれない。


「アリッサとサリー、ルーシア、ターニャ、あとライン君」


「……4人しかいないけど?」


 明らかに最後の名前は男だった。むっとしたルシファーがリリスをみると、無邪気に彼女が爆弾発言をする。にこにこ笑いながら、友人を死地に追いやるリリスの言葉がルシファーを叩きのめした。


「ライン君はひとつ上で、リリスにやさしいのよ!」


「ほう? そうか……それは、ライン君だったか? 彼には挨拶が必要だな……


 怖ろしい発言にヤンが凍りつく。慌てて影でどこかへ連絡を取るヤンを無視して、黒い笑みを浮かべたルシファーがゆらりと立ち上がった。

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