1009. 一緒に迎えに行こう

「……嫌な感じがする」


 ルシファーはぼやいて肘をつく。行儀が悪い仕草だが、注意する者がいないのをいいことに好き勝手に振舞っていた。朝食後のテーブルを片付け、ぼんやりと紅茶を眺めて過ごす。隣に座ったリリスが心配そうに眉を寄せた。


「どうしたの?」


「リリスは何も感じないのか」


 それは質問というより、確認だった。明らかにおかしい。何かが起きようとしていた。それを本能的に察しているのに、どこで何が起きるかわからない。イライラした。


 防げるトラブルなら、事前に手を打ちたい。そう考えるのはオレの身勝手か? 確かに起きてから対処する方が確実かも知れないが、だったらこの察知する能力は不要だ。


「感じてないけど、知ってるわ」


 この後に起きるはずの出来事と、それによってルシファーが後悔すること。リリスは迷った。魔の森の意思を優先するなら、穴を塞ぎ終えるまで黙っているのが正しい。母である森を苦しめる痛みの発生源を消したかった。


 でもね……心で呟いて窓の外へ目をやる。広がる緑がざわりと揺れた。


 わかっているでしょう? 世界はルシファーを中心に回るの。彼の意思を尊重したいわ。それが母なる森の意思と違っても、ルシファーを泣かせたくないのよ。リリスの心の問いかけに、森は葉を揺らすだけ。だが、その無言こそが肯定だった。


「何を知っているんだ?」


 問い詰める響きじゃない。気遣いながらも、答えられるなら教えて欲しいと申し出る。どこまでも優しい人。大嫌いな人族のハーフかも知れないのに、赤子を拾って育ててしまうような……。


 ごめんなさい。だから私はルシファーを選ぶの。


 見上げる先で、銀の瞳が揺れる。身を起こした彼の膝の上に座れば、当然のように腰を抱き寄せられる。黒髪に触れた手が頬に伸びて、自然と表情が和らいだ。


「レラジェはね、別れを告げに来たのよ。だからルシファーの不安は、あの子の消失を意味してる」


 わざと風で書類を乱してみたり、唐揚げを横から奪ってみたり、構って欲しい幼児の仕草そのものだった。叱られるのも嬉しいなんて、どれだけルシファーを好きなのかしら。私といい勝負じゃない?


 誰かの記憶に残りたいのね。もし私が同じ役目だったら、同じようにルシファーを困らせた。そんな子もいたねと、時々思い出して笑って欲しいわ。魔の森は体に残る毒針を処分しようと、特効薬のつもりでレラジェを作った。


 なぜあの子に意思を植え付けたのかしらね。何も考えずに、命を投げ出す子にすればいいわ。植物が太陽を求めて花を咲かせるように、当たり前のプログラムだけにしたらよかった。ルキフェルの代わりに作った子が、またルシファーの関心を引いてしまったのは、きっと私が原因だわ。


 魔族に拒まれないよう幼児の姿を取ったあの子は、私にとって弟も同然。だから感情があると気づいて、すぐに名前をつけた。私の色を持つ、ルシファーの顔を持つあの子に、祈りを込めて。


 少しでも、長く……生きていて欲しいの。生まれて死ぬ役目でも、あの子を覚えているために名を与える。私のエゴだけど、間違ったとは思っていない。


「消失? 死ぬのではなく?」


 リリスが使った言葉の意味を考える。意思を持つレラジェを、まるで物のように語った。それはつまり、レラジェが道具であると?


 ガタン、音を立てて立ち上がり、ルシファーは大急ぎでメモを認めた。今日は留守にすること、書類の処理は終わっていること。どちらも最低限の要件だけ書くとペンを置き、私に手を差し伸べた。


「リリス、話してくれてありがとう。一緒にレラジェを迎えに行こう」


「ええ……っ、ええ、そうね」


 絞り出した声は震え、頬を涙が伝った。

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