229. その名前で呼ばないで

 魔の森は上から見ると、誰の領域か一目でわかる。エルフの領域ならツリーハウスがあるし、フェンリルの森は木々が大きく拓けていた。ドワーフのいる地域は赤土がむき出しで、青白い湖が広がる場所はウンディーネが住む。


 地方の町を目指して空を飛び、途中で降りた。小さな集落は陳情が上がった村だ。


「魔王陛下だ! みんな、純白の魔王様の視察だぞ!!」


 村の入り口にいた門番が声を上げたため、小さな村は大騒ぎになる。ハーピーと呼ばれる、両手と耳が鳥の翼になった人型の魔族が集まってきたのを見て、リリスは興奮した。


「パパ~! 羽がいっぱい!!」


「人を指差しちゃいけません」


 興奮しすぎて指差したリリスの手を下げながら、膝をつくハーピー達に声をかける。


「待たせたが、調停に来た。内容をもう一度口頭で説明してくれ」


 調停を求める陳情書の内容は暗記している。一度覚えたら忘れないルキフェル程ではないが、ルシファーも物覚えはいいほうだ。それでも内容を確認するのは、彼らの陳情書の内容と照らし合わせるためだった。


 嘘をついてルシファーを呼びつける者も、過去には少なからずいた。魔王の地位についてすぐの頃は特に多く、到着するなり攻撃を受けることもあった。魔王を倒せば次の魔王になれる――都市伝説さながら噂されていた頃だ。


 誰もルシファーを倒すことが出来なかったため、徐々にそういった襲撃は数を減らしていったが。


「はい、ではこちらへ」


 長であるハーピーは灰色をしていた。その羽をばたつかせながら彼が案内した先は、柵に覆われた牧場のような場所だ。中にミノタウロスに似た四つんばいの生き物が飼われていた。


「牛か」


 人族の領域で見たことがある生き物だ。確か牛乳が取れたはず。魔物化すると、立ち上がってミノタウロスになるのだ。


「はい、こちらの牛がオークに狙われています。なんとか住民達で対抗していたのですが、明け方に襲われることが多く、対応しきれません」


 記憶の陳情書の内容と一致する。オークは魔物に部類されるため、集落に害をなす場合は駆除対象だった。この村が何回も襲われたなら、大型の巣があるかも知れない。


「近くに巣があるのか?」


「はい、山の中腹方面から来ます」


 見上げた先に雪帽子を被った大きな山が目に入るが、その手前にもう一つ低い山がある。そちらの中腹だろう。魔力を探ってみるが、山の下に地脈が通っているらしく漠然として判断がつかなかった。


「オークを片付けてくる」


 リリスを抱いたまま羽を広げると、驚いた様子のハーピー達に声を掛けられた。


「あの……陛下がお強いのは承知しておりますが、姫君もご一緒に向かわれるのですか?」


「姫様は村でお待ちになった方が……」


 幼子を連れてオークと戦いに行くと聞いて、心配させたらしい。今までも危険な現場に同行していたし、側近達は慣れて止めもしないから、すっかり忘れていたと苦笑する。


「問題ない。余の結界内が一番安全だからな」


 言い切ったルシファーの髪を引っ張るリリスが「鳥さんは?」と不満そうに呟く。どうやらハーピーに触れないまま村から移動すると思ったらしく、唇を尖らせて抗議していた。


 なんだ、この可愛い唇……指先でくいっと押し戻す。やはりある程度の年齢になるまで、唇へのキスはやめておこうと、ルシファーは分別ある大人の表情で苦笑いした。止まらなくなるとマズい。


「オークを倒したら一度村に戻るぞ。仕事したら報告はセットだからな」


 村に戻るならいいと機嫌を直したリリスが、左腕の中でじたばた暴れた。


「早く、豚肉やっつけよう」


「リリス……前にも言ったけど、肉分類で呼ぶのはちょっと……」


 やめてあげて欲しい。確かに倒された魔物は貴重なたんぱく質として、魔狼や魔熊達の食料になっているし、リリスの好物であるベーコンにもなるが。生きているうちから、肉名で呼ぶのは違う気がした。


「早く行こう!」


 細かいことは気にしないリリスに押され、ルシファーは山の中腹へ向かった。

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