44. 魔王、窓から再び
リリスは順調に保育園に馴染んだ。預ける際に泣くことがなくなり、ちょっと寂しいルシファーである。もっと駄々を捏ねて欲しい本音を押し殺しつつ、元気に友達の下へ這っていくリリスを見送るのは切ない。
「……オレも保育士になるかな」
昼食後のお茶を飲みながら呟くと、アスタロトに大笑いされた。
「あと数年でリリス嬢も保育園が終わります。そうしたら執務室の隣で、家庭教師をつけるのですから……そんなに寂しがることはありませんよ」
そう諭され、渋々納得したルシファーだったが……。
ドカンッ!!
派手な音と振動に、城のガラス窓がびりびり揺れた。驚いて顔を上げれば、保育園の方角から煙が立ち上っていた。今日は風が強く、保育園の塔に掲げられた旗がばさばさ揺れた。
「陛下っ、今報告を……」
だから待て。そう告げるアスタロトの手を振り払い、テラスへ続くドアを大きく開けた。
「緊急事態だ。許せ」
吐き捨てた直後、大きな黒い翼を広げたルシファーは飛び出す。魔力で浮遊しているので翼は必要ないが、風の制御が楽になる利点があった。あっという間に小さくなるルシファーに溜め息をつき、届いた報告書を受け取る。
トラブルがあれば城門の兵が駆けつける手はずを整えているため、連絡は迅速で内容は確実だった。さっと読んだ内容に苦笑いが浮かぶ。大騒ぎして魔王が駆けつけるような騒ぎではない。
「まあ、今日は仕事にならないでしょうし……後片付けは陛下にお願いしましょう」
風が強いのにドアを開けっ放しで飛び出したルシファー。アスタロトが振り返った室内は、当然ながら書類が散乱していた。これらを元に戻す作業をルシファーに丸投げして、とりあえずドアを閉める。
「……アスタロト、この惨状は?」
次の書類を持ってきたベールの冷めた声に、苦笑いして金の髪を掻き上げた。
「保育園の騒動で飛んでいきましたよ、このドアからね」
「先日禁止しましたよね」
ベールの口角が笑みを作る。本能的な恐怖を覚える表情にアスタロトは肩を竦めた。
「騒動を大きくしないためにお迎えに行ってきます」
「戻られたらすぐに」
「連絡します」
この状態のベールに逆らう気はアスタロトにない。人身御供に魔王を差し出す約束をして、アスタロトは足早に中庭へ向かい、転移した。
「リリス、無事かっ!!」
すごい勢いで飛んできたルシファーは、保育園の中庭で目を見開く。普段は遊具が並び、シンボルツリーが立っている中庭は子供達が遊んでいる。しかし今日は中途半端なサイズのドラゴンがいた。
「……ドラゴン?」
こんな小ぶりのドラゴン種族がいただろうか。基本的にドラゴンが降り立てば、この保育園くらい潰せる大きさだが。もちろん地下の龍脈を利用した魔法陣をドワーフが刻んだ地盤があるため、結界に覆われた保育園上空はドラゴンも弾かれるよう出来ていた。
結界の強さはこっそり確認したルシファーだが、あの音と振動では不安で飛び出したのだ。見回した先では子供達が遊んでいるし、別段変わった様子はなかった。
「魔王様、幾らなんでもお迎えが早すぎませんか。まだお昼寝前ですよ」
ミュルミュール先生の声に、中庭のドラゴンを指差した。
「なに、あれ」
「ああ、竜族のドラゴニア家の長男です。ライン君と言うのですけれど、彼は最近人に化けて保育園に通い始めました。まだ長時間人の形を維持できなくて、ときどき元に戻ってしまうのです。気を使って中庭で戻ってくれるので、助かります」
いい子ですよ。そう告げるドライアドはくすくす笑っており、被害が出た様子もない。彼女にとって、子供の成長の一環である変化の失敗は微笑ましいのだろう。中庭を振り返ると、小さな男の子が他の子供に手を振りながら部屋に戻っていく。
ほっと息をついたルシファーは翼をしまった。黒いローブの裾に重さを感じて足元を見ると、必死で這ってきたリリスがしがみ付いていた。
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