792. 嫌な予感を回収します

 治癒魔法の使い方を故意に間違う大公達の宴は、それはそれは盛況だったらしい。というのも、現場を知るのは彼ら4人のみであり、彼らはその宴の内容を口外することはなかった。宴に参加した罪人達のその後の行方は知れない。半日ほどの時間に行われた血の惨劇と粛清は、歴史に載ることさえなく秘された。


 ただ、戻ったベールの服が一部焦げたり、アスタロトの髪が不自然な形に切れていても指摘する強者はいない。ルキフェルは満足そうに笑顔を振りまき、ベルゼビュートの胸元に傷痕があった程度の変化だった。


 当然、ルシファーも気づかなかったフリでスルーした。すべてが丸く収まった魔王城は今日も平和に見える。しかしアスタロトは忘れていなかった。


「陛下、転移魔法陣の座標について……少々よろしいですか?」


 びくっと肩を竦めたルシファーは、思い出した。故意に記憶から消そうとした、あの嫌な予感がよみがえる。


「い、いや。今は忙しい」


「左様ですか。では急ぎの用件を済ませて、お話をお伺いする時間をたっぷり設けましょう」


 先延ばしにする方が危険だ。ごくりと喉を鳴らし、考えを巡らすが逃げ道が思いつかない。諦めて覚悟を決めた。


「急ぎの用件より、側近の話を優先しよう」


 嫌な説教を先に済ませる。この辺の判断の速さと的確さは、さすが数万年にわたり治世を敷いた執政者だけのことはある。だが難を言えば、その賢さを「危険を回避する」方向へ向けるのが正しいだろう。叱られる時点で、選んだ道はすでに間違っていた。


「よいお覚悟です」


 なぜか覚悟を褒められたルシファーは、アスタロトの後ろをとぼとぼついて行く。腕を絡めたリリスは可愛いサンダルの音を響かせながら、軽やかな足取りで続いた。


「そうでした。陛下に転移魔法陣についてお話があったのです」


 ご機嫌のルキフェルを伴ってベールが後を追う。残されたベルゼビュートは、胸元についた傷を指先でなぞった。通常の傷ならもう癒える頃だが、アスタロトの鋭い風の刃に炎を纏わせていたため治りが遅い。ピンクの巻毛を一房犠牲にするか、肌を差し出すか。迷うまでもなく髪を守ったベルゼビュートは悔いていなかった。


「今日のご飯は何がいいかしら」


 魔王城の中庭に集まった貴族の間をするすると抜け、城門から出て行く。騒動が収まった旨を通知された城下町の民は、再び屋台を出していた。貴族達も魔力の放出で怠さを残すものの、明日から祭りを再開する気でいる。


 この逞しさが魔族らしさなのだ。生も死も魔の森とともにある彼らは、起きた現象にいつまでもくよくよ悩んだり、恨みを募らせることは少ない。そういった人族に似た気質を持つ者は自然と淘汰されてきた。今回の罪人達のように。


「ベルゼビュート様」


 城門の先でピヨを背にのせた鳳凰に声を掛けられた。振り返った彼女へ、ピヨが飛びかかる。


「ちょっ! 爪が、こらっ」


 大きな牛くらいまで成長した鸞鳥ピヨは、突進した勢いで爪をピンクの巻毛に引っ掛けた。肌を犠牲にして守った髪は、あっという間に爪に絡まってしまう。


「あん、もう! どうするのよ」


 叱りながらピヨの爪を外そうとするベルゼビュートだが、不器用さが邪魔をしてうまくいかない。アラエルは困惑した顔でオロオロしており、これまた役に立たなかった。


「お手伝いしますわ」


 通りかかったアンナが慌てて手を貸す。強引に引っ張って外そうとするベルゼビュートの手から髪を受け取り、爪のカーブをくるりと回転させて抜いた。転げそうなピヨをアラエルが支え、なんとか無事に外し終える。


「ありがとう、アンナちゃん。それで……あたくしに何か用があったの? ピヨ、アラエル」


 腰に片手を当てて、乱れた巻毛を指先で回しながらベルゼビュートが尋ねた。

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