23. 世界を握る人は魔王ではなく…?

 魔狼の領域である魔の森の淵を、嫌な臭いのする煙が覆っていた。狼の鼻を効かなくさせるため、何やら薬草を燃やしているらしい。森を焼きながら迫る炎に、魔狼達は混乱した。


『卑怯な奴らだ』


『森に火を放ったぞ!』


 騒がしい眷属の声が飛び交う中、群れの長である灰色魔狼フェンリルのセーレは一喝した。


「騒ぐな! 我らは魔王陛下のしもべぞ、このように騒がしい場へ我が君をお招きする気か」


 混乱していた魔狼は次第に落ち着きを取り戻す。ざわめきが残る森で、大木の前に陣取ったセーレがゆったりと腰を下ろした。


「ここが最終ラインだ。我の尾より退しりぞくことは許さぬ」


 大きな尾をひらりと振って宣言したセーレの堂々とした姿に、魔狼達は姿勢を低くして服従を誓う。今回は子狼が攫われたため後手に回っているが、本来は人族など蹴散らせる勢力を誇る一族だった。ふさふさの尻尾を足の間に挟み、服従を示す。


「お? 久しぶりだな、セーレ。元気にしてたか?」


 場に似合わぬ軽い物言い。上から下まで純白の装いで現れた魔王の姿に、魔狼達は一斉に頭を地につけた。鼻先をこすりつけるようにして、必死に上位者へ敬意を表すのだ。


 黒い1対の翼を広げて降り立った魔王ルシファーは、左手に何かを抱いていた。


「我が君!! お会いしたかった」


 突然セーレの声が甲高くなり、子犬のようにはしゃいで立ち上がる。そのまま飛びつこうとしたところを、ルシファーの手が押し留めた。小山ほどもある巨体を右手一本で封じた魔王に、魔狼が驚く。無造作に押さえた鼻先をとんとんと叩いて落ち着かせ、ルシファーは笑顔をみせた。


「落ち着けって。50年振りくらいか? もっと気楽に遊びに来い。なんなら呼べば顔を出すぞ」


 魔王の肩書きが嘘のような気安い言葉に、感涙するセーレがふさふさの尻尾を大きく左右に振った。彼の喜びを表現する尻尾で、小さな竜巻がいくつも起きる。


「……っと、森が燃えてるんだったな。炎を凍らせるか、雨を降らせるか」


 簡単そうに呟くが、どちらも大変だった。広範囲に雨を降らせるより、湖などから水を巻き上げて降らせるほうが魔力の消費は少ない。だが魔力量の心配が無用なルシファーは、左腕のリリスが伸ばした手に頬を引っ張られながら考えた。


「こりゃ…ひひふ……いはぃ」


 リリスに痛みを訴えれば、ようやく手が離される。小さな紅葉の白い手は、ぺたぺたとルシファーの耳を握って離す遊びを始めた。


「雨だとリリスが濡れるから、凍らせよう」


「陛下」


 聞こえた部下の声に恐る恐るルシファーが振り返ると、追いついたアスタロトがにっこり笑った。途端に魔狼達は恐怖に身を縮める。


「炎を消すのですよね?」


「あ……ああ、凍らせる予定だ」


「雨ではなく、凍らせる理由を、お聞きしても?」


 区切って言い聞かせるアスタロトの声は低く、先ほどの呟きを聞かれたと気付いた。必死に考えた末、ルシファーは堂々と言い放つ。


「薬草を燃やした臭いは雨でも残る。魔狼達には辛いだろう。慈悲を与える君主として、凍らせて臭いを消すことにした」


 付け焼刃ながら、思いついた理由を並べてみる。じっと内心を見透かすように向けられるアスタロトの薄緑の目を、正面から受け止めた。すこし息が苦しい。


「わかりました。それならば、外聞もいいでしょう」


 許可がでたことで、ほっと一安心。大きく息を吐きだして気付く。ルシファーはずっと息を止めていたのだ。常に傍にいて助けてくれる側近だが、ある意味、怒らせたら世界で一番ヤバイ存在ともいえた。

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