498. 猫ぱんちではありませぬ

「うわぁ……」


 血腥ちなまぐさい光景に眉をひそめる。


「リリスは見ちゃいけません」


「あい」


 言われた通り両手で目を覆うリリスだが、指の間からこっそり見てしまう。さっきまで剣を構えていた手が千切れ、立っていた足が輪切りになり、腹部から内臓が零れるのを……。


「パパ……リリスも狩りしたい」


「これは狩りじゃないから、真似しちゃダメだ。狩りは後にしような」


 さりげなく向きを変えて、手の隙間から見ているリリスの視界から惨劇を隠す。今さら血や内臓で具合が悪くなるリリスとも思えないが、積極的に幼子に見せたい光景でないのは確かだった。


「あとで?」


「そう。何がいい? コカトリスか、ワイバーンか。オークでもいいぞ」


 リリスが好みそうな獲物を上げていければ、素直に誘導される幼女は「うーん」と唸る。両手でまだ顔を覆ったまま真剣に考え込んだ。


「コカトリスの唐揚げする!」


 それは獲物の種類を通り越した調理方法なのだが、リリスは夕食のリクエストをした。それが結論だ。ルシファーに否やはない。


「よし。この現場と調査を終えて、コカトリスを狩ろう」


 惨状を見せないために背を向けたルシファーだが、背後に感じる小さな魔力に気づいて振り返る。頭上に振りかざした剣が銀光を弾き、一気に振り下ろされた。


「陛下ッ!!」


 叫んだベルゼビュートだが、転移してこない。それどころか、足元の獲物に剣を突き立てて止めを刺した。今までの人族は叫びながら襲い掛かることが多い印象だが、この男は終始無言だった。その点に加え、太刀筋も悪くない。


「悪くないが、振り被り過ぎだ」


 きょとんとした顔で手を離したリリスの少し上で、ルシファーは手のひらをかざして剣を止めた。表面に張られた結界が剣の刃を防いだのだ。直後、小山程の巨体とは思えぬ俊敏さを発揮したヤンが前足で男を薙ぎ払った。


 吹き飛んだ男は大木に叩きつけられ、真っ赤に幹を染めて転がり落ちる。ピクリとも動かない人族に「ふん」と鼻を鳴らしたヤンが得意げに胸を反らす。それから甘えるように鼻先をリリスとルシファーに近づけた。


「おお! 今のパンチは見事だ」


 褒めて鼻先を撫でてやる。ルシファーやリリスに当たらぬぎりぎりの位置を、フルスイングだった。しかも敵は一撃で沈み、リリスは大喜びである。


「すごぉい!! ヤン、今の猫ぱんち、もっかい!!」


「……姫、あれは猫ぱんちではありませぬ」


「もっかい! 猫ぱんち!!」


「…………」


 無言になったヤンの顎や鼻先を撫でながら、ルシファーが小声で謝る。


「悪いな。ちゃんと狼だと教えているのだが」


「姫はやはり、我に『にゃん』と名付けようとされたのではありませぬか?」


 過去の疑惑がじわりと浮かび上がろうとするのを、ルシファーは全力で沈めにかかった。ここは触れてはならぬ深淵であり、開けてはいけない禁断の扉だ。実はルシファーも同様の疑惑を持っていたなんて知られたら、本気でヤンが落ち込むだろう。心折れて、浮上できなくなるかもしれない。


「それはないぞ。格好いいじゃないか、ヤン! 凛々しい名で呼びやすくてオレは好きだ」


「我が君がそう仰るなら」


 なぜか照れながら納得された。なんとか危険を回避したルシファーは、ぽんぽんとヤンの鼻先を軽く叩いて微笑んだ。


 銀鎖を揺らしてしゃらんと軽やかな音をさせたリリスの前で、ルーサルカが土の壁を建て穴を掘る。落ちた人族をシトリーの風が切り裂いた。そのまま埋めるのかと思えば、地上を平らにならして死体を並べる。


 隣でレライエが作った炎が、魔術師の火炎を巻き込んで彼らを襲った。悲鳴を上げて逃げる魔術師に氷の刃を突き立てたルーシアが、舞うように優雅な動きで止めを刺していく。


 手分けして獲物を仕留めた4人の少女達は、リリスに微笑んで手を振った。ワンピースや手足に返り血が飛んでいるのはご愛敬だ。リリスも無邪気に手を振り返した。


「さて……死体だが」


「それならば、魔熊の餌になりますぞ。奴らは冬眠前ですから喜びましょう!」


 ヤンの言葉に、なるほどと納得した。人族の肉は好んで食べる程美味しい物ではないと聞くが、食料として認識されている。つまり襲ってまで食べたい味でなくとも腹は満たせるたぐいの餌だった。今の時期なら何でも食べる魔熊にとって、十分な量だろう。


「魔熊族を呼べ」


「はっ」


 一礼して身を伏せたヤンが少し後ずさり、離れてから身を起こした。大きく息を吸い込むと、獣の王と呼ばれる貫禄たっぷりの遠吠えを放つ。集まった魔熊に事情を説明すると、恐縮しながらも喜んで回収してくれた。

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