373. ピンクの、ひとつ

 魔の森外周の立ち枯れに関しては、調査結果を待って対応することに決まった。正直、調査結果が出るまで手が出せないのだ。取り急ぎアラクネの領域のみ、魔王軍が緊急措置で魔力を供給することに落ち着いた。


 そして今、任務を終えた魔王軍の帰還に城門前は賑わっていた。魔王ルシファーと魔王妃候補リリスを襲った主犯を捕らえた彼らの凱旋に、純白の魔王大好きっ子ばかりの城下町の住人は大いに喜び、他の街から駆け付けた魔族達と大騒ぎを始める。


 城下町から集まった屋台が商売を始め、草原は魔族や魔獣が入り乱れるお祭り騒ぎで、さまざまな問題も起きていた。


「そこ! ケンカをするなら軍が介入します」


「子供にお酒を勧めない!!」


「女性のナンパは2度断られたら引け」


 騎士や魔王軍が規律を正す中、賑わう草原の中央付近でルシファーは左右を見回した。


「ピンクの、ひとつ」


 近くにある屋台に近づき、綿あめをひとつ購入する。左腕のリリスに袋ごと渡して、こそこそと移動し始めた。書類整理は片付けてきたが、側近に咎められる前に私室へ戻るつもりだ。


「見つけました!」


 アスタロトの声にびくりと肩を竦めたルシファーの前に、ふわりと側近が舞い降りる。コウモリの羽を見たリリスが、綿あめそっちのけで手を上下に振った。おかげでピンク色の綿あめ入り袋が凶器となって、ルシファーを殴る事態に陥ってしまう。


「リリス、ちょっと痛い」


「るぅ、だあ!」


 涎塗れの手で純白の髪を握ったリリスは、口の中に自分の指ごと髪の毛を押し込んだ。何でも口に入れる時期なのだが、一度は少女となった姿を見ているだけに、アスタロトは複雑そうな眼差しでリリスを見つめる。


「記憶は本当になさそうですね」


 残念そうな彼の言葉に、ルシファーはけろりと返した。


「別に構わない。大人になれば思い出すかも知れないし、今は赤子なんだ。子供らしく過ごせばいい。大人びた赤子なんて気味が悪いだろ」


「また一から教えるのは面倒ではありませんか」


「何を言うんだ。一から新しい記憶をリリスと積み重ねられるんだぞ? しばらく抱っこして生活できるのに、不満なんか何ひとつない」


 本気でそう言い切ったルシファーの迷いがない態度に「苦労するのはあなたですから、構いませんが」と苦笑いしたアスタロトが、慌てて用件を切り出した。


「あなたをお探ししていたのは、魔の森に関して奇妙な言い伝えが出てきたためです」


「言い伝え?」


 自分達より長寿な存在を思いつかないので、誰がそんな知識を継承していたのか。戻るように急かす側近の後ろを、首をかしげながらついていく。騒ぎに興じるダークプレイスの魔族達も、足元で生肉を齧る魔獣も、純白の魔王に気づくと道を譲った。


 黒髪の赤子に気づくと「姫様だ」「リリス様」と皆が手を振ってくれる。人見知りをしない赤子は、手を振られるたびに真似て手を振り返した。握り込んだ拳を振るリリスの表情は、楽しそうだ。涎塗れの手を振り回すため、ルシファーの肩や胸元は涎で濡れていた。


「ルシファー様、お召し物が」


「ああ、リリスの涎だから綺麗だぞ」


 意味がわからない。涎が綺麗という表現もおかしければ、枕詞のリリスもおかしい。複雑そうな顔をしたアスタロトの眼差しが「可哀想な人」を見る目に変わった。最愛の存在を失いかけたせいで、多少おかしくなったのだろうと眉をひそめる。


「おまえ、失礼だぞ」


「そうですか。私でなくとも同じ反応をしますから」


 すたすた歩いてきた2人に、城門前にいたルキフェルが駆け寄った。腕の中のリリスが赤子なので、目の前の少年姿のルキフェルに違和感を覚える。以前はもっと幼い姿だった記憶が重なったルシファーは、手を伸ばしてルキフェルの頭を撫でた。


「何してるの?」


 不思議そうな口調ながらも、撫でられることは好きなルキフェルが目を細める。こういう仕草は大きくなっても変わらないので、誰しも本質はそう簡単に変わらないのだろう。ならば、リリスの記憶が失われてやり直しになっても、基本的に同じように育つはずだった。


「アスタロトみたいな大人になっちゃダメだぞ」


「……あなたの失礼さはどうやったら直るのでしょうね。ルシファー様」


 余計な一言に、恐怖の笑顔で返されたルシファーは腕の中の赤子をしっかり抱き締めた。かつて脅されて奪われた記憶が過る。今度は絶対に手放さないと固い決意で睨んだところに、ベールが呆れ顔で近づいた。


「くだらないことをしてないで、はやく来てください」


 最近は止めていたくせに、ルキフェルと手を繋いだベールが先に歩き出す。肩を竦めたアスタロトが続き、リリスに耳を引っ張られるルシファーも慌てて追いかけた。

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