335. キマイラ討伐戦

 リリスが手に魔法陣を作り出す。ルシファーがよく使う万能結界に似ているが、少し文様が違った。一瞬で読み取ったルシファーが目を細める。


 月光を遮る獲物キマイラが、ばさりと大きく翼を羽ばたかせた。飛ぶために必要としない翼だが、威嚇に十分な迫力がある。広げた羽から鋭い風の刃が襲い掛かった。地上に降り注ぐ刃を、ことごとくリリスの結界が吸収する。


 ルシファーの万能結界は弾くことを目的とするが、リリスは改良して吸収型とした。結界に触れた攻撃の魔力を吸収し、結界の強化に利用するのだ。ルシファーほど無尽蔵の魔力があれば消費量を気にせず済むが、通常は結界を張りながら戦うのは自殺行為だった。


 庭全体を覆うほどの結界は、キマイラ自身の魔力で強化されていく。


「見事ですね」


 感心したと呟くアスタロトの隣で、ルキフェルがにっこり笑う。どうやら改良に協力したらしい。発想力豊かなリリスの提案を、ルキフェルが形にしたのがこの結界だった。


「まずは引きずり下ろすわよ!」


「「「「はい」」」」


 妖精族特有の透明な翼を広げたルーシアが浮き上がり、結界の縁から魔法陣を宙に描く。鳥人族ジズのシトリーも空に舞い上がり、ルーシアと同じ魔法陣を手に挟み撃ちの形を作った。頷きあって両側へ展開した魔法陣が、轟音を立てて風雨を呼ぶ。


 風と水の魔力を上手に融合した攻撃に、リリスが笑顔で月を指さした。そのままキマイラへ照準を合わせる。


「どーん!!」


 魔法陣すら使わず、雷を落とした。まっすぐにキマイラを貫いた雷光が周囲を照らし出し、魔物の影を地上に焼き付ける。目が眩むほどの光が収まると、庭の噴水横にキマイラが落ちていた。


 雷の音で聞こえなかったが、かなり地表を抉ったらしい。土埃が収まると、噴水が斜めに傾いていた。隣の地面が斜面になっている。巨大なキマイラを受け止めた花壇が傾いて、美しい薔薇が大地を彩っていた。


 降り注ぐ雨に、視界がかなり悪い。


「ルーシア、シトリー」


「「はい」」


 水と風を操る2人が魔法陣へ供給していた魔力を断つ。土砂降りの雨が止んだ庭は、しんと静まり返った。雨上がり特有の土の臭いが充満する。


「我が主、お先に」


 声をかけたイポスが飛び出した。エルフが育てた薔薇は、狂ったように蔓を伸ばし始める。リリスの斜め後ろに膝をついたルーサルカが操ったのだろう。薔薇の蔓は、咲き乱れる花弁を散らした罰のように絡みつき、キマイラを拘束した。


 気絶しているのか、動かないキマイラにイポスが剣を突き立てる。


「ぐぎゃぁああああっ!」


 鳴き声とも悲鳴ともつかない声が静寂を破った。右目を貫かれたキマイラが薔薇を引きちぎりながら立ち上がり、よろけて隣の噴水を砕く。折れた噴水の水は激しくキマイラに抗議して、やがて循環する水が尽きて涙のごとき雫を落とした。


「姫っ!」


 イポスの促しに、リリスはドレスのまま駆け出す。思わず手を伸ばそうとしたルシファーだが、ひとつ息を吐いて拳を握った。横目でルシファーの仕草を見ていたアスタロトの口元が弧を描く。ルキフェルとベールは食い入るようにリリスの動きから目を離さなかった。


「さすがね、これだけのキマイラを倒すなんて」


 大きさも禍々しさも一級品だ。ベルゼビュートの目には、断絶された魔力にのたうつキマイラの末路が見えるのか。勝利を確信した口調で、安堵の息をついた。戦いが始まった当初は爪が食い込むほど掴んだ腕だが、今は添える程度に緩めている。


「トドメよ」


 魔力で編んだ網をかけたキマイラに近づき、リリスは優雅に微笑んだ。

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