201. 命が大事なら指摘してはいけない

 フェンリルの森で約束したとおり、一緒にお風呂に向かった。


 丁寧に身体を洗って、最近は自分で髪の毛を洗う真似をするようになったリリスを褒めてから、しっかり湯船に浸からせる。抱っこしないと溺れた幼子は、いつの間にか一人で入れるようになっていた。成長を実感しながら、リリスの千切る薔薇が浮いた湯船で寛ぐ。


「ルカちゃん、リリスと仲良くしてくれるかな」


 心配そうに呟く姿に、長くなった黒髪をくるりと上に結い上げながら答える。


「リリスから話しかけて『仲良くしたい』って伝えれば、大丈夫だよ」


「うん」


 リリスのために増やした温室から拝借した薔薇は、ベルゼビュートが丹精した上質なものだ。香りも一級品で、色も鮮やかで美しい。今日の薔薇は黄色から赤に色変わりする花びらのため、2色の薔薇が浮いていた。


 リリス以上にルーサルカに対して懸念を抱いているのは、ルシファーや側近達だろう。彼女の境遇に同情するのと、リリスを傷つける可能性がある事実はまったく別次元の話だった。万が一、あの少女がリリスを傷つけるような言動を行えば……。


 自分でも抑えが利かなくなるのは間違いない。


 物騒な考えを流すように、風呂の湯を抜いて立ち上がった。抱っこされたリリスを魔法で乾かして、柔らかいタオルを上に被せる。乾かしたり拭いたりする目的ではなく、湯冷めを防ぐためだ。


「ご飯を食べたら、お昼寝しようか。ヤンの上で一緒に寝てくれるんだろう?」


 ルシファーの提案を聞いたリリスの頬が緩む。ヤンのふかふかの毛皮も好きだし、パパと一緒に寝るのも温かくて安心できて好きだった。


 この後の予定が昼寝に決まったこともあり、ゆったりした締め付けないワンピースを羽織らせる。装飾が少ない部屋着に近いワンピースは薄い水色で、共布のフリルが裾や袖を飾っていた。一分袖なので動きを妨げることもない。


「髪を梳いてあげるから、こっちにきて」


 自らもラフな格好に着替えると、ルシファーが手招いた。


 ソファではなく、リリス用に用意された小さな鏡台の前に座らせる。ドワーフ渾身の彫刻が過剰なくらい踊りまくる鏡台は、ぎりぎり上品の範囲内に収まる力作だった。全体に花模様中心だったのが不幸中の幸いだ。


 引き出しには幼児でも使えるパウダーや化粧水が用意されている。まだ幼いリリスは興味を示さないが、夜になるとアデーレが保湿ケアを行っていた。一番上の引き出しを開けてブラシを取り出すと、下の方から順番に髪を梳いていく。


 黒髪を梳き終えると、ルシファーの手は器用に髪を結い上げた。自らの髪が長いせいか、扱いにぎこちなさは見られない。白い指先が纏めた黒髪を確認して、リリスが鏡に向かって笑った。


 これが完成の合図だ、今日も満足してくれたらしい。


「寝る前に一度解こうね」


「なんで?」


「起きたときに頭痛くなるぞ」


 結った場所を下にして寝て、頭痛で泣いたことを忘れたリリスへ忠告したところで、ドアがノックされた。入室を許可すると、アデーレが狐尻尾の少女を連れてくる。


 白く柔らかな生地のワンピースを着た狐少女は、驚くほど変化していた。


 元から大きかった尻尾は、洗ったことでさらに一回り大きくなっている。肌の色は少し明るくなり、亜麻色に近かった。ばさばさで黒っぽく見えた髪は、濃い茶色で肩のあたりで切り揃えたようだ。


「あの……ありがとうございます」


 助けられた当初は緊張していたのだろうが、今はきちんと意思表示も出来ている。父親の躾なのか、最低限の礼儀は弁えているらしい。ほっとしながら、ルシファーはアデーレに食事を運ぶよう頼んだ。


「ルカちゃん、これ好き? こっちは?」


 運ばれた食事を前に、リリスは自分の好物を彼女の前に並べ始めた。子供用に作らせた椅子の上で、ご機嫌で料理を勧める。ルシファーに背を向けた形で……。


「リリス、落ち着きなさい。食べたい物をルーサルカ自身に選ばせるんだよ」


「……わかった」


 素直に聞き分けたリリスは、アデーレが取り分けた料理をぱくりと一口食べる。気に入ったようで、フォークに刺してルシファーへ差し出した。


「パパ、あ~ん」


 これだけで機嫌がよくなったルシファーが「あーん」と食べさせてもらう姿に、ルーサルカは絶句した。入浴中、侍女のアデーレから純白の魔王様と魔王妃候補リリス姫について教えられた。やっぱり凄い人達だったと納得した直後に、この光景である。


 どう見ても幼女が魔王を手のひらで転がしている。ある意味真理をついたルーサルカだが、いろいろと耐えてきた彼女はさとかった。空気を読む能力に長けているとも言い換えられる。


 命が大事なら、指摘してはいけない。本能に近い部分が、彼女に口をつぐませた。

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