1202. いつも冷静な人はいない
※1201話の双子の表記につきまして、混乱を招く表現がございましたので修正しております。ご指摘ありがとうございました。
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憑き物が落ちたように、アンナは落ち着きを取り戻した。崩れるように机に俯したアンナを、イザヤが支える。まだベッドで寝ていた方がいいのではないか? 心配になって声をかけたところ、アンナは顔を上げて謝罪した。
「ごめんなさい。鍋は当たりませんでしたか?」
「受け止めたし、結界もあるから問題ない。体調が悪いのではないか?」
「……母乳の出が悪くて」
言葉を濁したイザヤに、アンナの目に涙が滲んだ。興奮して赤いのかと思ったが、どうやら別件で泣いたらしい。鼻を啜りながら、とんでもない話が始まった。
「貧乳だから母乳が出ないのよぉ」
「それは関係ないと産婆さんも言ってただろう。落ち着いてくれ」
胸を押さえて泣きじゃくるアンナを抱き締め、イザヤは宥めるのに必死だ。これを繰り返していたら、確かにアンナの隣を離れるわけに行かないだろう。
「よくわからんが、母は側にいるだけでいいのではないか」
リリスを育てた経験者ルシファーは、思い出しながら呟いた。
「リリスの時も乳母を探す話があった。当然オレは乳が出ない。母乳をいくつかの種族の若い母親達に分けてもらい、途中からはミルクだったぞ」
「本当に?」
なぜ疑われるのか分からないが、ルシファーはアンナの濡れた目を見ながら頷いた。はっきり肯定されたことで、アンナは考え込んでしまった。
「初めての出産は負担が大きい。しかも2人も産んだのだ。しばらくは体を休め、赤子の面倒だけに専念すればいい」
言い聞かせると、アンナは素直に頷いた。イザヤやアベルが拍子抜けするほど、アンナの様子が変わる。落ち着いた様子で赤子のいる寝室へ戻っていった。支えるイザヤが中から扉を閉めたのを見送り、リリスは押さえていた口から手を離した。
「偉いぞ、リリス」
余計なことを言いそうになり、ヤンの肉球に止められてからは自分で口を押さえたのだ。
「子どもが出来ると、母親って不安定になるのかしら。魔の森の不調は私のせいだったら……」
「どうもしないさ。出産は祝い事だ。それが魔の森であっても否定することはない」
ルシファーはけろりと言い切り、食堂の椅子に座った。手を引いたリリスを膝に乗せる。どんな事情があっても、魔族にとって子どもは宝だ。それが愛すべき母と尊敬する魔の森が産んだなら、自らの兄弟姉妹と同じ。森の子を否定する魔族はいないだろう。
シリアスな話が一段落したところで、シトリーが大きく息を吐き出した。
「びっくりしました。アンナさんはいつも冷静な人でしたから」
「でも15歳でこの世界に来たんでしょう? 相談できる人もいなくて、不安なんじゃないかしら」
ルーサルカが気遣わしげな視線を扉に注ぐ。頷くシトリーは卵生の鳥人族なので、一族の出産は卵でしか知らない。腹の中で温める期間も短く、胎生が不思議だった。長くお腹の中に入れていると、ここまで影響を受けるのか。
「この辺の性教育も欠けているのか。リリスも含め、全員でアデーレに教わり直しだな」
ルシファーが苦笑した。生まれてからの育て方なら経験したが、産まれるまでのサポートは知らない。これだけ長い年月生きても、まだ知らない事ばかりと肩をすくめた。
「魔王様って、知らないことを知らないと言えるんすね」
「知ったかぶりをしても仕方あるまい。実際、知らないのだから」
アベルは「やっぱすげぇ」とよく分からない感心をした後、扉の方に目をやった。それから振り返ってルーサルカを見る。
「ルカを支えられるよう、明日からちゃんと性教育受けます」
アンナの出産で後回しにされたが、性教育はほとんど進んでいない。騒ぎも一段落したし、明日からゆっくり勉強に励むとしよう。
「今日は帰ろう。後で出産届けの受理書を正式に発行する」
アベルに渡して、アンナ達に届けてもらう約束をして外に出た。ローズマリーの細い葉が揺れる庭を見回し、その場から転移で帰城した。
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