692. 初々しいカップル誕生
「大丈夫か?」
笑いながら手を握って助け起こしたイポスへ、青年は頬を綻ばせた。魔王城でルキフェルの配下として研究職に就く、ストラスは細身の頼りなさげな男だ。汚れの目立たないグレーの服を好む彼だが、今日は女性を誘うとあって着替えた。
柔らかな印象のオフホワイトのドレスシャツに、紺のスラックス姿は母親の見立てだろう。貴族らしさも多少残しながら、若者らしい気楽さも感じられる。ベルトをサッシュにしたのも、アデーレの進言かもしれない。
金髪に近い茶髪、赤紫の瞳を持つ彼の種族は――吸血鬼。アスタロト大公と妻アデーレの末っ子だ。2人いる息子のうち、1人はすでに寿命を全うしている。弟にあたる彼は兄との年齢差600歳で生まれた子だった。穏やかでおとなしい性格の末っ子を、アデーレはいたく心配している。
このままでは100年待っても恋人の一人も連れてこないのではないか? と。しかし最近になりルキフェルから、ストラスがある女性を見かけると挙動不審になる情報がもたらされた。研究一筋で異性に見向きもしなかった彼の恋愛を応援する。気合を入れたルキフェルが相手を突き止めると、金髪美女であることが判明。
アデーレは手をたたいて喜び、金髪美女の父親も手放しで賛成した。つまりこれは双方の親公認のお見合いである。魔族は恋愛結婚が当たり前であり、人族のように家柄だけで結婚相手を決めたりしない。親がいくら見合いをさせても、無駄になることも多かった。
「イポス嬢、休みの時間に……その、僕と一緒に店を回りませんか」
「ストラス、先に名乗れ」
苦笑いしたルシファーが嘴を挟む。小さな声で「邪魔したら、だめっ」と叱るリリスが、組んだ腕を乱暴に揺らした。しかし指摘されて気づいたストラスは、慌てて優雅な一礼を披露してから膝をつく。女性に誘いの手を差し出すのなら、知人であっても名乗るのが礼儀だ。
「失礼いたしました。アスタロト大公家ストラスと申します。サタナキア公爵令嬢イポス様をエスコートする栄誉をいただきたく……」
真っ赤になったイポスが、ストラスの口を手でふさいだ。反射的な行動だが、顔どころか首や手まで赤くなったイポスは、助けを求めるようにリリスへ視線を向ける。まるで「仕事だから」と断って欲しそうに見えた。実際は恥ずかしいだけだろう。
「今日の護衛はヤンに頼むから……イポスは自由にしてね」
「そうだな、行こうか」
無粋な見物人は早々に立ち去るべきだ。ルシファーの促しに、大型犬サイズまで小さくなったヤンがしっぽを振る。軽やかな足取りのリリスを伴い、次の屋台へ向かってしまった。途中で人々の歓待を受け、渡される酒に「まだ昼間だぞ」と笑って口をつける。楽しそうな魔王の姿が遠くなった。
「あの……イポス嬢?」
「は、恥ずかしいから……イポスと呼べ」
仕事の堅い口調で返してしまい慌てる彼女と対照的に、ストラスは笑顔で頷いた。
「はい。姫のお言葉で今日の仕事は終わりですね。ご一緒させてください、イポス……っ」
こちらも呼び捨てにした途端、顔を真っ赤にする。耳や首筋も赤いため、通りすがりの酔っぱらいに「いよっ、カップル誕生か?!」と冷やかされてしまった。
アスタロトとアデーレの子であるため、生粋の吸血種族だ。彼らは生まれつき美貌を兼ね備えていることが多く、また魅了を使う者もいた。魔物相手の魅了を使うイポスと魔力の相性もいいはずだ。ましてやイポスは隠しているが面食いの傾向が強い。
互いに一目惚れした同士、先に見初めたストラスへ行動を促したのはアスタロトだった。さすが18人も妻を得た男の説得は違う。本気で口説くつもりで、ストラスは気合が入っていた。
「わかった……ストラス」
乙女な一面があるイポスは、エスコートされたり溺愛される状況に憧れがある。きちんと手順を踏んで申し出たストラスは、顔の良さもあり好印象だった。
その日一日、あちこちで2人は目撃されたが……夕方から夜にかけて、誰も姿を見なかったとか? はてさて――奇妙で無責任な噂を聞いたリリスは静かに微笑んで、唇に人差し指を押し当てた。
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