622. くおぁあああ!
「……大丈夫だ、リリス」
複雑なことを考える頭を空っぽにしたら、最初に出る言葉がこれだった。気を失っているのに、泣きながらオレを呼んだと思われる少女に向ける――本音だ。
伸ばした手で黒髪ごと頬を撫でて、青ざめて血の気の引いた肌を温めるように包み込んだ。顔を近づけて様子を見ようとした瞬間……後ろから
「くおぁあああ!」
奇妙な雄たけびの直後、後頭部を結界ごと踏みつけにされたルシファーが前に倒れる。眼前に迫った少女を守ろうと手をつくが、少し遅かった。ごつんと激しい音がして額がぶつかる。さらにもう一度足蹴にされたため、柔らかな唇に触れてしまった。
目から火花が出るとはこの状態を指す言葉か。ずきずきと痛む額を押さえて頭を上げると、部屋の中を駆けまわる犯人に遭遇した。青い鳳凰種と、それを追いかける翡翠竜だ。両方とも本来のサイズより小さいが、鸞は大型犬サイズを上回る。後ろに続く翡翠竜は人型の赤子くらいだった。
「……っ、何をしているのですか!」
怒鳴る前に、書類と共に戻ってきた部下がキレた。アスタロトは額を押さえて俯いたルシファーの様子に眉をひそめ、騒ぐピヨを魔力の縄で拘束した。飛べないニワトリ同然の鳳凰を捕らえるのは容易だ。足に絡めた縄でつんのめったところを、闇を使って上手に捕縛した。番のアラエルは見当たらない。
「アムドゥスキアス……他人の頭を踏むのは感心しないぞ」
むっとした口調でルシファーが翡翠竜を捕まえた。尻尾を掴んで逆さに吊るされたアムドゥスキアスが、トカゲの口でたどたどしく文句を綴る。
アスタロトが違和感を覚えてルシファーを凝視した。800年分の記憶がないなら、ぶら下げた翡翠竜が目覚めていることに驚くはずだ。しかしすんなりと受け止めた。もしかして……? いや、そんなに都合のいい展開があるだろうか。ルシファーとリリスを交互に見る。
その間もルシファーに尻尾を掴まれたアムドゥスキアスの抗議は続いていた。
「だって、私や婚約者をバカにしたんだ。でっかいトカゲ呼ばわりするんだぞ」
「そうか、確かに
間違いない! 今のルシファーが青い鳳凰を見て「ピヨ」だと名を呼んだ。ずっと名を呼ばなかった「リリス」の話を持ち出した。つまりここ十年ほどの記憶を保有しているはずだ。確信を得たアスタロトが声をあげる。
「ルシファー様っ!!」
「なんだ? 何もしてないぞ!? いきなり大声を出すな、リリスが起きるだろう」
むっとしながら側近の大声に文句をいい、ふと気づいて首をかしげた。
「……ん? リリスはなぜ横になっているんだ? まだ昼間だぞ」
しかも泣いた跡がある。眦から頬に伝った涙の痕跡に、唇を寄せて優しく癒した。別に指先で治癒してもいいが、気分の問題だ。しっかり治癒魔法陣を使って赤くなった目元の腫れも取った。
「思い出したのですね?」
「何か忘れ……えっと、その書類か? オレの処理ミス、とか?」
とんちんかんな受け答えをするルシファーの足元に膝をついて、アスタロトはその裾を口元へ運ぶ。接吻けて一礼した後、ほっとした顔をあげた。
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