905. 父として見守る時間は終わり

 アデーレに言われ、素直に影に潜んでアベルの様子を窺った。獣人の父と人族の母の間に生まれたことで、ルーサルカはつらい幼少期を過ごしている。魔族を束ねる大公という地位にあり、混血種の保護に力をいれてきたつもりだったため、保護した時は衝撃的だった。


 通常なら獣人の方が人族より寿命が長い。先に死ぬのは人族である母親なのが一般的だった。どのようにして父を失ったのか、ルーサルカは語らない。詳細不明ながら、獣人とのハーフである少女を母親は手放した。


 どのような理由があったにしろ、種族を越えて愛した男の子を身籠り産んだ。そんな己の半生を否定する行為により、ルーサルカは1人になったのだ。狐尻尾はあるものの、魔力量もさほど多くない彼女に、当初大した興味はなかった。


 アデーレが母親になると申し出て、少しずつ笑顔が増える。幼いリリスを妹のように愛して慈しみ導こうとする彼女の努力を知ったのは、偶然だった。深夜に書類を片付けた帰り、庭の隅で魔法の練習をするルーサルカを見つける。不発の魔法を繰り返し、拡散する魔力に汗を流しながら……諦めなかった。


 気になって見守る間に朝になり、侍女達が起き出すのを見て慌てて自室に引き上げる。ちょうどこの頃、ルーサルカは魔王妃の側近候補として選ばれたばかり。己の未熟さを補う術を求めて必死になる姿は、懐かしく好ましかった。


 昼間は他の少女と一緒にマナーやダンスを覚え、歴史や知識を詰め込む。夜になればこっそり魔法の自主練習……そんな日が長く続くはずはなく、ある日ルーサルカは倒れた。足元の影を通して監視していたおかげで、彼女が地面に倒れる前に支える。


「頑張り屋だ。お前に似てるな。アスタロト」


 同様に気にかけていたルシファーの声に、首を横に振った。倒れそうになったルーサルカに伸ばした主君の手が、苦笑いと一緒に引っ込められる。


「残念ですが、これほど私は純粋ではありませんよ」


 そこに賛否を避けたルシファーはくるりと背を向ける。愛するリリスがいる部屋に戻る魔王の背に頭を下げ、ルーサルカを部屋に運んだ。ベッドに横たえ、衰弱した身体の魔力を整える。それから迷った末に、手首を切って血を与えた。


 眷属にする気はない。彼女の人生を左右したり支配する意図もなかった。ルーサルカが自分に似ているのなら、注意してもきっと無茶を繰り返す。今度は隠れて見えない場所で、必死に己を磨こうとするだろう。二度と捨てられないために。


 ここまで気になった理由が判明し、くつりと喉を震わせて笑う。魔力の豊富な血で濡れた赤い唇が薄く開き、求めるように舌が唇を舐めた。傷口を近づければ、しがみついて牙を立てる。獣人と吸血種は近い性質を持っていた。


 あの時から、彼女は大切な娘となった。血を分けた、その意味では実の娘だと言い切れる。同じ血が流れる彼女の魔力は徐々に底上げされ、今では不自由なく魔法を使いこなす。あの夜の記憶がないことを幸いに隠し、深く干渉しないフリを貫いた。


 アデーレやルシファー、ベールには気づかれているだろう。付き合いの長いベルゼビュートも、何か感じ取っているのか。ルーサルカに構うことが多かった。カルンが現れた時より、アベルが急接近した時の方が気持ちが乱れる。


 数万年を生きて単調な日々に慣れた感情が、ざわりと呼び起こされた。だから反発したが、それも嫉妬という重要な感情のひとつだ。自分が庇護して守ってきた娘が、他の男を愛して親元を離れようとする。よくある出来事で、たいして珍しい話でもなかった。


 もめる親子の仲裁経験は数えきれないが、当事者になるとここまで苛立つとは――私もまだ未熟なようです。苦笑いしたアスタロトは、かび臭い地下牢の入口でひとつ深呼吸した。魔王城の城門地下にある牢の使用頻度は低かったが、ここ最近は大活躍である。今も捕らえられた3人が収容されていた。


 さて、我らが敬愛なる魔王陛下を襲った不埒者への詮議を……始めましょうか。

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