1197. 混乱は連鎖するようで

 ヤンの背中から降りようとしたアンナは、急な腹痛に身を丸めた。転がるようにして落ちた彼女を、慌ててイザヤが支える。膨らんだ腹の下を抱く姿勢で呻く妻に、イザヤは混乱した。生まれるのか? だがまだ少し早い。


 初産はどの種族でも予定通りに行かず不規則になる話は聞いているが、これがそうだろうか。万が一にも別の症状だったらどうしよう。おろおろするイザヤに、ヤンが吠えた。


「父になるのであろう! 母体を屋敷内に運び、湯を沸かせ。産婆は誰を頼んでおるのか!」


「と、隣の隣に住む犬獣人のお婆さんだ」


 産婆の居場所だけ聞くと、ヤンはすぐに駆け出した。受け止められた姿勢が辛いアンナが「うぅ」と呻き声を上げた。慌てて抱き上げようとしたが、どうやっても腹が圧迫される。通りがかった熊獣人に助けを求め、屋敷内に運び込んだ。


 向かいに住む竜族の奥さんが気付き、大急ぎで白い布を大量に提供する。ちょうどシーツを新調しようと買い込んでいたのだ。まだ未使用の綿を机の上に積み上げた。そこへ産婆の首を咥えたヤンが帰ってくる。どさりと産婆を屋敷の床に下ろした。


「早く見てやってくれ」


「はいはい、年寄りを乱暴に扱うもんじゃないよ。フェンリル様だとて、少し労って欲しいものじゃ」


 文句を言いながらも、しっかりした足取りでベッドに近づく。以前は二階が寝室だったが、妊婦になってからリビング脇の小部屋に寝室を移動していた。


「オスは外じゃ!」


 イザヤを含め、ヤンも熊獣人も外へ蹴り出した産婆は、向かいの奥さんと一緒にぴしゃりと扉を閉めた。呆然と顔を見合わせる男達だが、我に返ったイザヤが熊獣人に頭を下げた。


「ありがとう、本当に助かった」


「構わんよ、赤子を産む嫁さんを大事にしてやってくれ」


 普段は市場にいるから、元気な赤子が生まれたら見せてくれと言いのこし、彼は去っていった。見送ったヤンものそのそと庭へ出て、まだ戻らぬ敷地内の離れを睨む。


「アベルはどうした?」


「今日はルーサルカちゃんとデートだと聞いている」


 イザヤ情報で、邪魔をするべきか迷う。デートも久しぶりだろうし、大公女の仕事は忙しい。イザヤは苦笑いして付け足した。


「呼んでも、出産に役立つことはなさそうだ」


「ふむ、それもそうか。城には産気づいたと報告しておこう。明日以降の参加は無理だからな」


 軽い動きで塀を乗り越えたヤンは、魔王城へ向かう。心配してついていても役に立たないので、報告を優先したのだ。夫であるイザヤがついていれば良い。門を開けると閉めなければならないので、楽をしたフェンリルは風のような速さで城門をくぐった。


 飛びついたピヨを避け、アラエルに引き渡す。いい加減、ママ離れを計画しているヤンだが、鳳凰としてはまだ赤子のピヨにそんな気はなかった。アラエルの隙をついて、ヤンの背に飛び乗る。


 振り落とすことを諦めたヤンは、コブ付きで魔王の居室がある最上階へ向かった。階段を駆け上り、部屋の前でぺたりと腰を落として座る。背中のピヨが転げ落ちた。


「我が君、ご報告がございます」


「ヤン? 入っていいわよ」


 リリスの返答があったので、ノブを器用に回して扉を開けた。部屋の床に倒れたルシファーに馬乗りになるリリスの姿に、目を見開く。これは……最悪の場面で乱入したのでは?! 過呼吸に陥りそうなほど混乱したヤンだが、リリスはきょとんとした顔で見ている。


 よく見るとルシファーは伏せており、腰というより背中に彼女は跨がっていた。


「な、何をして、おられる、か」


「マッサージよ、アデーレに習ったの」


 ややこしい。大きく息を吐いたフェンリルの項垂れた姿に、リリスは先を促した。


「それで、何の報告があったの?」

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