736. 強者ゆえの恐怖

「ご苦労、魔力は足りるか?」


 背に4枚の翼を広げた魔王の降臨に、貴族たちがざわめく。魔力を注ぐ貴族が慌てて礼をしようとするのを、手で振って留めた。


「緊急事態に礼儀作法は不要だ」


 そう告げるものの、イベント前に着つけた正装姿で現れた薄青ローブの魔王に、貴族は見惚れた。薄化粧を施した魔王の純白の髪に、輝く王冠である髪飾りが揃っている。滅多に拝めない姿は目の保養だ。


「陛下、こちらは足りてます」


「わかった。何かあればアスタロトを呼べ。ベルゼはどうした?」


 見回すと、少し離れたところでフェンリルに捕まった獲物状態の美女を発見した。姿勢よく凛とした姿の彼女は、今は芝の上にぐったりと倒れている。身を起こそうとしたが、ヤンは遠慮なく押さえ込んだ。抱いていたリリスを一度下ろし、普段と同じように腕を組んで歩く。


 前足でベルゼビュートの動きを止めるヤンに「それでいい」と褒めながら近づき、彼の大きな顎を擽った。鼻のあたりも丁寧に撫でてから、足元で休憩中のベルゼビュートに声をかける。


「そのまま休んでいろ。魔力が戻らねば、何も出来まい」


「陛下……」


「ダメだ。今のお前に与えるのは危険すぎる」


 魔王ルシファーから魔力を供給されれば動ける。そう強請ろうとした精霊女王へ、ルシファーはきっぱり断りを口にした。ルシファーが直接与えようと、ベルゼビュート経由で魔力を補おうと、精霊にとっては同じだ。しかし、彼女の身体は悲鳴を上げるだろう。無理やり魔力を絞り出した今の身体にこれ以上の負荷は危険だった。


 拒まれた理由を理解するから、ベルゼビュートは諦めた様子で肩の力を抜いた。ぐったりと芝に倒れ込み、大地の地脈から魔力を吸収していく。


「パパ、ベルゼ姉さんは具合悪いの?」


「そうだ」


「リリスが治してあげる!」


「今は休んだ方がいいから、こっちへおいで」


 奇妙なやり取りにベルゼビュートは顔をあげる。目の前にいるのは、薄緑のワンピース姿の少女だ。白い肌と黒髪の……いつもと変わらないのに、ぞくりと背筋を寒気が走った。


「へ、陛下っ! リリス様が……」


「魔の森の影響だろう」


 それ以上は言うなと目くばせされた。他の貴族がいる場所で、魔王妃候補の評判を下げるわけにいかない。慌ててベルゼビュートは言葉を飲み込んだ。


 リリスを見た瞬間、まるで人形かと思った。見慣れた少女が見知らぬ他人の様に印象が変わり、あれほど活発で無邪気だった雰囲気まで消えている。彼女の形を真似ただけの何か――魔の森の分身である少女の変貌は、魔の森への危機感をあおった。


 このままでは滅びてしまう。魔の森が消えたら、次は魔物が……弱い魔族が死んでいく。最後に強者である自分たちが残されるのか。死ねたらまだ救われるが、もし自分たちだけ生き残ったら?


 寿命が見えない強者ゆえの恐怖に、ベルゼビュートは己の肩を抱いた。血の気が失せた指先も肩も冷たくて、背に触れたヤンの温もりが涙を誘う。


「……みっともないわ、あたくし」


 滲んだ涙を必死に瞬きで誤魔化したベルゼビュートの髪に、ルシファーは手を置いて軽く撫でた。普段は綺麗に巻かれた髪はほぼストレートに戻り、乱れて地に散らばる。それでも……いや、だからこそ。


「何も変わらない、今も綺麗だぞ。女王だろう? 民の前で不安な顔を見せるな」


 自分に言い聞かせるように吐き出された言葉に小さく頷き、ベルゼビュートは目を閉じた。

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