410. 異世界の作法と名前
お土産よろしく持ち帰られた勇者は、予想外の好待遇にびっくりした。魔王を倒しに来た勇者が魔王城で与えられる部屋は、地下の牢屋だと思っていたのだ。それが普通に窓の外は庭で、1階の客室らしい。
逃げようと思えばいつでも外に出られる環境で、しかもベッドが柔らかかった。ふかふかの絨毯が敷き詰められているので、思わず靴を脱いで座ってしまう。高そうな家具が備え付けられた部屋を見回しても、牢屋という表現は似合わなかった。
「贅沢だ」
前世界もアパートじゃなくて一軒家だったけど、こんな立派な部屋じゃなかった。絨毯に座ってきょろきょろしていると、案内して姿を消していたルキフェルが戻ってくる。
「あれ、なんで床に座ってるの?」
「靴も? 異世界の作法でしょうか」
やたら美形のすらりと背が高い銀髪のお兄さんと、愛らしい水色の少年はまるで主従のようだ。少年はタメ口で、年上のお兄さんが敬語だった。しかし彼らの会話から推測すると、対等の地位らしい。魔王の隣にいた赤い瞳の綺麗だが怖い兄さんもそうだが、城仕えが長いと敬語になるのかも知れない。
「僕のいた世界は部屋の中で靴脱いで、床に座る習慣がある」
「ふーん。あんたがいいなら、僕は気にしないから好きにしたら」
ルキフェルは他人にあまり興味を持たないらしく、突き放した口調で近くのソファに近づいた。しかし座らずに待っている。何を待っているのかと首をかしげた勇者の前で、ベールがルキフェルを抱っこして座った。
兄弟や親子でも同じことをするのに、恥ずかしい気がして目を逸らしてしまう。
「ところで、あんたの名前は? 誰も聞いてないよね」
「……
「アベル? カイ? どっちが名前」
「ルカイが名前」
切る場所が違ったらしい。異世界の発音は難しいと「ルカイ、ルカイ」とルキフェルが繰り返す。どうもしっくりこない。
「アベルじゃだめ?」
「……それでいい」
諦めた勇者の名は、本日からアベルになった。この世界で使うなら、こちらの響きの方が皆が覚えてくれるだろう。苦笑いして受け入れたアベルだが、考えてみれば囚人であり
「どうして名を聞く?」
「?? 呼ぶのに不便だから」
意味不明の質問をされたと顔に書いたルキフェルの対応に、アベルは想像と違う……と内心で首をひねる。やたら待遇のいい捕虜みたいだ。馬小屋の隣みたいな部屋と残飯生活だったので、余計に恐い。どんな実験に協力させられるんだろう。
実験とやらの後、召喚直後に放り込まれたボロ小屋に入れられたら、より辛く落差を実感するはずだ。
「ご飯、食べたいものある?」
「えっと……残飯以上なら文句ないです」
気の毒そうな顔をするルキフェルの視線が突き刺さる。後ろのベールは絶句してから、大きな溜め息を吐いた。仮にも勇者として戦わせるために召喚したのなら、最低限の面倒は見るべきだろう。衣食住に不自由させないのはもちろん、死なない程度の訓練も必要だ。
「本当に人族は魔物以下の屑ですね」
「いつものことじゃん」
2人の会話の意味がわからない。異世界に召喚されて、魔法陣から引きずり降ろされ王様に命令されてから、ずっと隔離されていた。この世界の常識や強さのレベルも何も知らずに連れ出されたのだ。知識などなかった。
「苦痛がなければ全面的に実験に協力する、から……よろしく頼む」
きょとんとした顔のルキフェルはすぐに笑い出し、「別に解剖したりしないよ」と冗談交じりに告げた。後ろから水色の髪を撫で続けるベールは、しばらく考え込んだ後呟いた。
「宣伝効果は高いかもしれませんね」
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